Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

書きたいことを書いている.駄文注意.

【速報版】 1+1=2 笑えない数学

NHK で放映された『笑わない数学』という番組の次の回が話題になっている.
www.nhk.jp
企画意図としては「\(1+1=2\) という式を通して数学基礎論という分野を紹介する」というものだったのだが,いくつか怪しい説明や誤解を招く説明,端的に誤っている説明が散見された.というか,全体を通してそういうものがとても多かった.どう少なく見積もっても番組の内容の半分以上がそういうものになっている.正直,全然笑えない.笑わないのではなく笑えない.
この記事はそういった説明に注意喚起を促し,簡単にだが訂正をするための記事である.NHK+ での配信期間が一週間のため,かなり急いで書いている*1.そのため,いくつかわかりにくかったり文献を引き損ねている場合がある.何らかの形で,わかりやすさや文献をしっかり引いたものを書くつもりではいるが「このあたりの説明は怪しい」ということを書いておくだけでも意味はあると思うので【速報版】としてあげさせていただく.

(2023/10/22 追記)
この記事に対するコメントを受けて追記する.この記事は上記の通り速報性を重視して書いており,「ここが怪しい」「ここが間違っている」ということだけを伝えることを目的としている.そのため「どう直すべきか」という点までは書いていないし,ここに書くつもりはない.そういうのは【完全版】【詳細版】で書くつもりなので,それまで待ってほしい.ただ,ヒルベルトプログラムの理解・説明が(わかりやすさのために正確さを犠牲にしたというレベルではなく)間違っているので後半は1から作り直さないといけないレベルに思える.
(追記終わり)

(2023/11/06 追記)
上記で宣言していた【詳細版】は以下である.
sokrates7chaos.hatenablog.com
【完全版】ではなく【詳細版】としたのは「何をもって【完全】と言うのか」と思い直した結果である.【速報版】のときよりも詳細に取材したうえで書いているので,時間がある人はぜひ目を通してほしい.
(追記終わり)

歴史的な観点から見た怪しい点

第2シリーズ 1+1=2 - 笑わない数学 - NHK では歴史的なはなしがいくつか紹介されていたが,いくつかの説明がかなり怪しかった.この節ではそれらについて記述する.

非ユークリッド幾何学は数学の厳密化のモチベーションとなったか?

この番組では非ユークリッド幾何学が打ち立てられたことを「数学の厳密化」特に「数の概念の定義が行われた」原因のように最初から最後まで語っているが,それはかなり怪しい.というか,そのような説をわたしは初めて聞いた.
数 (上) (シュプリンガ-数学リ-ディングス) の「自然数」や「実数」の定義が行われた経緯についての記述を見ても特に非ユークリッド幾何学のことはほとんど触れられておらず,「集合論の確立による『基礎づけ』が整えられたこと」や「微積分の厳密化」について書かれている.また,復刻版 カジョリ 初等数学史ではペアノらの功績を幾何とは異なる方向からの成果として位置付けている.
おおまけにまけて「非ユークリッド幾何学の研究が数学の厳密化につながった」は正しい.実際,復刻版 カジョリ 初等数学史 などを見ると「ユークリッドの第5公準」の非自明性の解消に向けて,「平行線」の「定義」の改良を試みたり「ユークリッドが無意識に仮定していた公準(たとえば剛体の公準)」を探るなどの研究がかなり早くから行われていたようだ.たとえば,139 年ころ活躍したプトレマイオスが「ユークリッドの第5公準の証明」を試みていたらしい.
ただ,これはもともと数学という領域が「厳密な議論」に向けての志向性があったという話に過ぎないようにも思う.実際,18 世紀ころには「数える」という心理的過程へ数概念を帰着させることによって基礎づけるという試みはあったようだ(数 (上) (シュプリンガ-数学リ-ディングス)).
正直に言って,非ユークリッド幾何学の確立が「数学(幾何学)の在り方を変えた」のは正しいとしても,「基礎を揺るがした」というのはかなり違和感がある.というのも,非ユークリッド幾何学の確立は,ユークリッド幾何学の基礎を揺るがしたわけではない.かなり初期から「ユークリッドの第5公準」の妥当性や基礎として用いることを疑われていたわけで,非ユークリッド幾何学は単に「新しい幾何学」を確立したに過ぎないように思う.
結局,19 世紀後半に「数学の厳密化」が一気に進み,「自然数の定義が為された」のは,やはり,カントールらによる集合論の確立およびフレーゲをはじめとした論理学の発展が寄与する部分が大きく,またモチベーション面でも「微積分(極限など)の厳密化をしたい」というのが大きいように思われる.番組内で取り上げられた内容において,非ユークリッド幾何学の果たした役割はわざわざ取り上げるほど大きくないのではないだろうか.もし,(あまり一般的でない)「非ユークリッド幾何学が19世紀における数学の厳密化特に『自然数の定義をする』モチベーションとなった」という見解を述べるのであれば,しっかりした根拠とともに述べないと不誠実ではないだろうか.

ペアノの与えた公理について

ペアノの公理(らしきもの)が番組内で取り上げられているが,これは「ペアノによる公理」ではない.
ペアノの書いた Arithmetices principia: nova methodo exposita が Internet Archive にあがっていたので確認してみた*2が,ペアノ自身は「(自然)数」を "0" ではなく "1" から始めており,また番組のように後者関数(番組内では「○○の次」と書かれていた)を使って定義をしていない.後者関数と加算を区別する定義はむしろ*3 ペアノの書いた Sul Concetto Di Numero Uno *4 によるとペアノ自身は「(自然)数」を "0" ではなく "1" から始めている.また,そもそも自然数の定義自体は Dedekind に帰着するのが適切なようだ(数 (上) (シュプリンガ-数学リ-ディングス)).もっとも,Dedekind にとっては集合論の中で自然数を定義することが目的であり,「自然数論」を展開することに主眼があったわけではないので,「公理」という形では表していない(数について: 連続性と数の本質 (岩波文庫 青 924)).「公理」という形で書き下したのはペアノの功績なので,自然数の公理は「ペアノの公理」と呼ばれているわけだ.
閑話休題.番組内で,「数の集合は存在する」を「ペアノが最初に仮定した」と述べているが,これは誤りである.あろうと思われる. そのような記述は 『ペアノ 数の概念について (現代数学の系譜 2)』 において確認できない.そもそも,「数の集合」を定義していく過程であるから,その存在を仮定するのはこの時点では論点先取である.つまり,そんなものを仮定した時点で「厳密に」なっていない.おそらく, Arithmetices principia: nova methodo exposita にそのような記述はないのではないだろうか(イタリア語*5はできないので,まだ全文読めていないが).

現代的なペアノの公理の説明だと思ってもまずい点

もしかしたら,番組スタッフはペアノの功績ではなく「現代的なペアノの公理」を説明していたつもりなのかもしれない.しかし,それならばペアノの論文を引用したかのようなテロップを単に流すのはあまり好ましい行為ではない.「現代的に整えられたペアノの公理」を説明している旨を述べるべきである.
また,現代で「ペアノの公理」と述べた場合,「構造として自然数を定義」するものであるから,やはり番組内の説明はおかしい.「自然数(より厳密には組\( (\mathbb{N}, s, 0)\))の持つべき性質」が書き連ねてあるだけであって,この場合も「数の集合は存在する」を最初に仮定することはありえない.ペアノの公理を満たすような対象を構成するなどして,はじめて「(自然)数の集合は存在する」と言えるのである.
総じて,肝心な部分を理解せず,ペアノ算術の加算の計算方法のみをかろうじて理解した人間が説明しているという疑念がぬぐえない.

ヒルベルトプログラムおよび(第一)不完全性定理をめぐる怪しい点

番組の後半はヒルベルトプログラムを中心に話が進んでいた.だが,このパートはほとんどすべての説明が誤っている.キツイことを言ってしまえば \(2+3=5\) を計算した後のパートで正しい説明ができていたのは「床屋のパラドクスの説明」のみである.

ヒルベルトプログラムとは何か

番組ではヒルベルトプログラムを「完全で無矛盾な数学を目指す」計画として紹介されていた.しかし,これはかなり語弊がある.また,番組内での「ヒルベルトプログラム」の説明は完全に誤っている.
ヒルベルトプログラムは大まかには次のようなプログラムである.

  1. 数学の議論を「何らかの記号列の規則的な操作」とみなす(数学は定理や論理規則を組み合わせているだけだから,そのように実際みなせそうである).
  2. 上記の「記号列の規則的な操作」は一種の計算とみなせる.そのため,「記号列の規則的な操作」と自然数の計算をうまく対応させれば,形式的体系「十分強い有限な算術*6」で,あらゆる数学の議論はシミュレーションできる.
  3. 最後に「十分強い有限な算術」の無矛盾性と完全性を「数学を使って」示す.すると,「十分強い有限な算術」はあらゆる数学の議論はシミュレーションできるから,数学全体は「完全で無矛盾」なことがわかる.

この流れを見ればわかる通り,*7「完全で無矛盾な数学(の構築)を目指」しているわけではなく,むしろ「(すでにある)数学は完全で無矛盾である」ことを示すためのプログラムがヒルベルトプログラムである.また,「記号化(形式化)」という非常に重要でかつ(当時からすると)画期的なフェーズを経ないと全貌が見えない.
番組の説明ではあたかも「何らかの数学の体系」を組み立てるかのような演出がなされていたが,これが誤りであることもお判りいただけると思う.「何らかの(良い性質を持つ)数学の体系」を組み立てるような方向性から「数学の危機」を回避しようという研究は,フレーゲやラッセル,ホワイトヘッドら論理主義者たちによって行われていたが,彼らの仕事は「ヒルベルトプログラム」の一部ではない.
ちなみに,番組内で「ラッセルはヒルベルトプログラムに魅了された一人」と紹介されていたが,これも初めて聞いた.ヒルベルトは形式主義者にラッセルは論理主義者に分類されるので,そもそも思想の系統が異なる.もしかすると,ヒルベルトプログラムから何らかの影響をラッセルが受けたことはあり得るかもしれないが,晩年のラッセルが数学の哲学関連の仕事をしていないことを鑑みるとこれもかなり疑わしい言説に聞こえる.

不完全性定理について

ゲーデルの不完全性定理*8の説明が誤っているのはいつものことであるが,今回もやはり間違っていた.ゲーデルの不完全性定理そのものが「数学の無矛盾性と完全性」を突き崩したかのような主張のされ方をしていたが状況はもう少し複雑である.
(第一)不完全性定理の主張はほんの少し厳密に言うと「(1)枚挙可能な公理*9をもち(2)"初等的な自然数論*10"を含む(3) \(\omega\)-無矛盾な一階述語理論は不完全である」というものである.ここで大事なのはこの定理は「一階述語理論(First-order theory)*11」についての定理という点である.「一階述語理論」は数学そのものではなく,それを形式化(記号化)したものである.そのため,この定理から「数学の不完全性」が導かれるわけではない.
実のところ,第二不完全性定理の方が「ヒルベルトプログラム」に対しては深刻である.こちらの主張は「(1) 枚挙可能な公理をもち (2) \mathrm{I}\Sigma_{1} という算術を含む (3) 無矛盾な一階述語理論では自分自身の無矛盾性を示せない」というものである.なぜ,この定理が深刻かというと,ヒルベルトプログラムにおける「十分強い有限な算術*12が,この定理の仮定を満たすであろうと想定されることにある.つまり,「十分強い有限な算術」は自身の無矛盾性を証明できず,それゆえ,「数学全体の無矛盾性」は示されないと想定される.*13(2023/11/08 追記)が他の算術体系の無矛盾性を証明しないことを示唆するからである.(追記終わり)
この件について,ヒルベルト自身は数学の基礎 (数学クラシックス 第 4巻)で次のように述べている.

この目標(筆者注:数学全体の手法が無矛盾であることを示すこと)に関連して, ゲーデル (K. Gödel) の幾つかの新しい結果により,私の証明論の実行不可能性帰結されるという、最近聞かれる意見は間違っている,ということを強調しておきたい.実際,この結果は,無矛盾性証明をさらに押し進めるためには,有限の立場を,初等的体系の考察において用いられたものより,より強力なものとしなければならない,ということを示しているにすぎないのである.(『数学の基礎』「はしがき」より)

ヒルベルトとしては「十分強い有限な算術」を何らかの形で強化すれば「ヒルベルトプログラム」は成し遂げられると考えていたようである.
少なくとも言えることとして,ゲーデルの不完全性定理は番組内で述べられたような「完全で無矛盾な数学はできない」ということをすみやかには意味しない.単にヒルベルトプログラムの方針で「数学は無矛盾である」ということを示すのが厳しいというだけの話である.

その他怪しい点

その他に怪しい点について述べる.

「矛盾」の何がまずいか

体系が「矛盾」すると何がまずいかについての番組内の説明が完全におかしい.「ぐるぐるとおなじところをめぐり続ける」ってなんやねん.
体系が「矛盾」すると何がまずいのかというと「任意の言明が証明できるようになる」という点にある.実際に「床屋のパラドクスの例」を使って説明しよう.
今,「床屋は自分のひげを剃る」「床屋は自分のひげを剃らない」の両方が成り立っている(矛盾している)とする.このとき,次のように「豚は空を飛べる」ということを示すことができる.

  1. 「床屋は自分のひげを剃る」ことから「『床屋は自分のひげを剃る』または『豚は空を飛べる』」が成り立つ.
  2. 「『床屋は自分のひげを剃る』または『豚は空を飛べる』」ことと「床屋は自分のひげを剃らない」ことから,「豚は空を飛べる」が成り立つ.

この論証が「豚は空を飛べる」をそれ以外の好きな言明に置き換えても成立することに注意すれば,「矛盾した体系では(それがたとえどんなむちゃくちゃな内容でも)任意の言明が証明できるようになる」ことがわかるかと思う.そのような体系がなんの役にも立たないのは直観的に明らかであろう*14

はてなブログランキング掲載

この記事は以下のランキングで 20 位をいただいた.よくわからないランキングだが,ともかくありがとうございます.
blog.hatenablog.com

*1:https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023101811912?playlist_id=d7267c5c-5953-4374-90f4-5768431d70c6

*2:https://archive.org/details/arithmeticespri00peangoog/page/n24/mode/2up

*3: 番組スタッフが参照したと思しき ペアノ 数の概念について (現代数学の系譜 2) の原文は Sul Concetto Di Numero Uno : Peano, Giuseppe : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive の方らしい.「らしい」というのは ペアノ 数の概念について (現代数学の系譜 2) に原文のタイトルがはっきりと書いていないからである💢💢💢.数 (上) (シュプリンガ-数学リ-ディングス) で,Arithmetices principia: nova methodo exposita の方を「ペアノが定義を確立した」文献として引かれているが,現代知られている後者関数を使うものは Sul Concetto Di Numero Uno が初出のようだ.数 (上) (シュプリンガ-数学リ-ディングス) には ペアノ 数の概念について (現代数学の系譜 2) が Arithmetices principia: nova methodo の訳だと書かれているが,これは誤りである.この混乱の件については共立出版と丸善出版とそれぞれの本の訳者たちに明確に責任があるので,ちゃんとしてほしい💢💢💢.ともかく,この調査によって「不当な」批判になってしまったと思われる部分については削除する.逆に正当な批判と確定した部分については表現を改めた.(2023/10/27 追記)

*4:Sul Concetto Di Numero Uno : Peano, Giuseppe : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

*5:くだらないミスだが,意味が変わるレベルのミスなので白状する.ここを最初「ドイツ語」と書いていた.よく見ると論文は「イタリア語」で書かれているのだが,本気で「ドイツ語」で書かれていると勘違いしていた.ペアノがイタリア人であることを知っていたのに,なぜそんな勘違いを起こしたのかさっぱりわからない.(2023/10/23 追記)

*6:実のところヒルベルトが具体的にどのような体系を想定していたのか,はっきりとはわかっていない.ただ,現代では原始帰納的算術(PRA)と呼ばれる体系がそれであろうと言われている.

*7:自分の説明におかしな部分を見つけたが,直すのが非常に困難なので,削除する.【完全版】ではちゃんとした説明を与えるので許してほしい.削除していないところはあっていると確定しているので,結局,番組の説明が無茶苦茶なことには変わりない.(2023/10/25 追記)

*8:ちなみにここで言う「完全性」といわゆる「ゲーデルの完全性定理」の「完全性」は異なる概念である.ここで言う「完全性」は「否定完全性」とも呼ばれ,「任意の文 \(\phi\)について,\(\phi\) 自身かその否定 \(\lnot\phi\) が証明できる」という性質を指す.

*9:枚挙可能な公理とは,おおざっぱに言うと「公理を永遠に吐き出し続けるプログラムがある」という意味である.この条件はこの定理にかなり本質的で,この条件を外せば(2),(3) の条件を満たしながら完全な理論が存在する.つまり,"初等的な自然数論"を含む完全で無矛盾な理論は存在する(たとえば True Arithmetic).

*10:わたしの知っている限りこの条件を見たす最も弱い算術は「モストウスキ・ロビンソン・タルスキの体系」である.細かいことは数学基礎論序説: 数の体系への論理的アプローチなどを参照してほしい.

*11:一階述語理論とは一階述語論理に非論理的公理を加えた体系である.例として,Peano Arithmetic(PA) や ZFC があげられる.

*12:削除された部分に出てきていた.この体系が「無矛盾」であることがヒルベルトプログラムにおいて重要になる.(2023/10/25 追記)

*13:(2023/11/08 追記)【詳細版】 1+1=2 笑えない数学 ~笑わない数学の笑えない間違いの話~ - Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳のために勉強し直したら微妙に間違えていたとわかったので削除・修正.(追記終わり)

*14:実はこの件も状況が若干複雑で,矛盾する体系であってもカリーハワード同型を通して,計算論的には意味がある場合がある.