Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

思考の流し台. 駄文注意.

Zorn の補題は何の補題? ―「補題」と呼ばれる定理たち―

数学の世界には慣例的に「補題」と呼ばれる"定理"がある. 

たとえば, 

などである(分野に偏りがあるのはご容赦).

 

 なぜこれらは補題と呼ばれるのか? 

 大学生の頃にMartin Aigner, Günter M. Ziegler, "Proofs from THE BOOK", Springer のChapter 25の冒頭に答えが書いてあるのを見つけた. 有名な事実かと思いきやそうではないらしいので, せっかくなのでこのブログで共有をしたい. 

 以下がそのChapter 25の冒頭の文章である. 

 The essence of mathematics is proving theorems - and so, that is what mathematicians do: They prove theorems. But to tell the truth, what they really want to prove, once in their lifetime, is a Lemma, like the one by Fatou in analysis, the Lemma of Gauss in number theory, or the Burnside-Frobenius Lemma in combinatorics.
 Now what makes a mathematical statement a true Lemma? First, it should be applicable to a wide variety of instances, even seemingly unrelated problems. Secondly, the statement should, once you have seen it, be completely obvious. The reaction of the reader might well be one of faint envy: Why haven't I noticed this before? And thirdly, on an esthetic level, the Lemma - including its proof - should be beautiful! 

(Martin Aigner, Günter M. Ziegler, "Proofs from THE BOOK" , Third edition, Springer, 2004, p.167)

 

 訳すと次のようになるだろうか?

 

 数学の本質は定理を証明することである.  ― すなわち, それが数学者のやっていることである. 彼らは定理を証明している. しかし, 本当のことを言えば, 生涯に一度でもいいから彼らが本当に証明したいものは補題なのである. たとえば,  解析学におけるFatou の補題や数論におけるGauss の補題, 組み合わせ数学におけるBurnside-Frobenius の補題のような.
 さて,  何をもって数学的主張は真の補題と言われるのか? まず, その主張は一見して無関係と思えるような問題にさえも応用可能なほど広範囲の応用例を持つべきである*1.  次に, その主張は一見して完璧に明らかであるべきである.  その主張を読んだものはかすかな羨望を覚えるかもしれない. 「なぜ, こんな簡単なことに私は気が付かなかったんだろう?」と*2. 最後に, 美的感覚*3において, その「補題」が―証明も含めて―美しくあるべきである!

(翻訳は筆者自身)

 

補題」と呼ばれる"定理"にはこのような事情があったのである. 

 たしかに冒頭に挙げたような「補題」たちはいろんな定理の"補題"になっている(言い換えると, 応用範囲が広い)し, (一度わかれば)主張は明らかである. 最後の「美しさ」の部分については意見が分かれるような気もするが, 見る人が見れば「美しい」のであろう(たぶん). 

 今後の読者の学習の参考になれば幸いである. 

参考文献

Proofs from THE BOOK

Proofs from THE BOOK

 

 

この本は日本語訳も出ている.  

天書の証明

天書の証明

 

 

*1:訳注:かなり意訳してしまったので, ニュアンスが違うかもしれない.

*2:訳注: 原文では直接話法ではなかったのだが日本語にすると大変おさまりが悪かったのでこうした.

*3:訳注:ここもニュアンスをうまく訳せていない可能性がある. esthetic は「審美的」と訳されることが多いようであるが, あまり一般的な用語ではないように思われ, 意味が伝わらないのではないかと考えた.