今回は雑記です. まとまりのない文章になりますがご了承ください.
水素水の効能がないことが公的機関によっても保証されたようですね.
容器入り及び生成器で作る、飲む「水素水」−「水素水」には公的な定義等はなく、溶存水素濃度は様々です−(発表情報)_国民生活センター
国民生活センターがこういった問題において, どの程度発言力を持つのかは知りませんが, あからさまな疑似科学に対して鉄槌が下される日も遠くないようです.
さて, 正直この問題についてそこまで僕自身はさほど興味ありません. 騙されそうになっている方に
みたいなホームページを紹介することはありますが, 撲滅しようと熱心に活動しているわけではありません.
一番の興味は「なぜ, 人は疑似科学を『科学』と思い込むのか」ということです. もう少し正確にいうと「どうすれば, (手遅れな人たちはいったん置いといて)子供たちに疑似科学を見抜く力を備えさせられるか」ということです.
こう見えても教育関係に身を置いているので, 子供たちと話す機会が他の人よりも多いです. 小学校低学年の子たちと話していると, 彼らは今まで生きていた世界から「科学らしきもの」を得ようとしている(もしくはすでに得ている)ことがわかります.
そういった「科学らしきもの」は大人たちの目から見ると明らかに「科学」の段階に至っていないことが多いです(当たり前ですが).
特に多くて, その誤解を解くのが大変な「科学らしきもの」の片鱗の一つが「物体が運動するときその物体には力が働いている」というものです. これは実際には「力が働いていない(もしくは釣り合っている)物体は等速直線運動をする」という「慣性の法則」を知っている大人にとっては明らかな誤りであることがすぐにわかります*1.
よくよく考えてみたら, この誤解はそれほどおかしなことではありません. なぜって, アリストテレス的世界観(ニュートン以前)に生きていた昔の人々はそういった価値観の下で生きていたのですから. これは, 「昔の人々がアホだった」ということではなく, 単純にそういった思弁が「それほど重要でなかった」ので, 誤っていても誰も気にしなかったということなのでしょう*2.
さて, 問題はこの誤解がなぜ起こるのかということです. これは「力が働いていないと動かない」という事象をたくさん見ているからでしょう.
たとえば, 「エンジンがかからないと動かない車」「押さないと動かないスーパーのカート」「投げないと動かないボール*3」などなど......
我々は身の回りの世界で感じ取ることができる事象から「科学のような法則」を無意識のうちに作り出しています. しかし, その多くは誤りです. なぜなら, 一人の人間の感じられる世界はかなり狭いからです. また, 同じ事象を観察したところで正しい「科学法則」にたどり着けるのはほんの一握りで——認識障害とバシュラールなどは呼んでいます——多くの場合間違った推測をしてしまうからです.
科学の世界ではこういったことを防ぐために正しいと思われる「科学のような法則」が正しいかどうかを判定する「実験」を行うわけですが, ほとんどの人はそのようなことはしません. そして, 多くの場合最初の「科学のような法則」を「正しい」と思い込んでいます.
我々にとって大事なのは「最初の直観を疑う」ことかもしれません. 子供たちが「疑似科学」に騙されないようにするためにはそのことを教えるのが一番なのかなぁと思う今日この頃であります.
特にオチはありません. 乱文失礼しました.
↓文中で出てきたバシュラールの本です. 今, 読んでますが, とても面白いです.
科学的精神の形成―対象認識の精神分析のために (平凡社ライブラリー は 29-1)
- 作者: ガストン・バシュラール,及川馥
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2012/04/12
- メディア: 単行本
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