Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

書きたいことを書いている.駄文注意.

基礎研究をする底辺大学院生の戯言〜聞け!男一匹が命をかけて諸君らに訴えているんだぞ!〜

おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。
いいか。それがだ、今、大学院生がだ、ここでもって立ち上がらねば、大学が立ち上がらなきゃ、日本の研究業界の復活ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただの無駄飯食らいになってしまうんだぞ。
おれは4年待ったんだ。大学が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は研究者だろう。研究者ならばどうして基礎研究を否定する政府の方針を守るんだ。どうして自分を否定する政府のために、基礎研究の重要性を否定する財務省・政府にぺこぺこするんだ。政府方針に「選択と集中」がある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。







われわれ大学院生は、大学によって育てられ、いわば大学はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。かえりみれば、私は四年、大学内で大学院生としての待遇を受け、一片の打算もない敎育を受け、又われわれも心から大学・研究を愛し、もはや大学の外にはない「真理の探求」をここに夢み、ここでこそついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、窮理の精神を相共にする同志と共に誰も通ったことのない研究の荒野を馳驅した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって大学は故郷であり、世知辛い現代日本で自由な研究をできる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの暴挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と言われようとも、大学を基礎研究を愛するが故であると私は断言する。
われわれは日本が、経済危機から目先の物事に囚われ、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計はゆとり教育により失われ、教育事業・経済政策などの政府の失敗はただただごまかされ、日本人自ら日本の未来を汚していくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。われわれは今や大学にのみ、真の基礎研究、真の自由、真の研究者の魂が残されているのを夢みた。しかも一般大衆には、大学における研究は不要であることは明白であり、国の根本問題である研究・教育が、御都合主義の財務省の戯言によってごまかされ、大学運営交付金を減らされ続け、大学人の魂の腐敗、道義の退廃、業績の減少の根本原因をなして来ているのを見た。最も基礎研究を重んずべき大学が、もっとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。大学は国家の無茶な要求に答えてきた。大学は学問の府たりえず、研究資金を与えられず、ただ、職業訓練学校としてのみの役割を求められ、その精神さえも踏みにじられてきた。われわれはバブル後のあまりに永い日本の眠りに憤った。大学が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。大学が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。積極財政によって、大学がその本義に立ち戻り、真の学問の府となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて大学に入り、基礎研究に身を捧げる決意を固めた。ただ、大学が目ざめる時、大学を真の学問の府にするために、「真理」を探求するために、命を捨てようという決心にあった。積極財政がもはや議会制度下では難しくとも、われわれは基礎研究活動の尖兵となって命を捨て、基礎研究の礎石たらんとした。重要だが金を生まない研究を守るのは大学であり、金を生む研究をするのは企業・民間の研究所である。応用研究が行き詰まりを見せた段階に来て、はじめて基礎研究の重要さは再認識され、大学はその本義を回復するであろう。大学の本義とは「学問の保護」にしか存在しないのである。国のねじ曲がった大本を正すという使命のため、われわれは少数もっぱら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかしながら去る2020年何が起こったか。この空前のコロナ禍という状況による驚くべき不況、民の生活苦にも関わらず、積極的な財政出動は行われなかった。その状況に、私は、「これで財務省の方針は変わらない」と痛恨した。コロナ禍には何が起こったか。政府は戒厳令にも等しい規制、同調圧力で、ウイルスを押さえ込み、あえて「積極財政」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。財政出動は不用になった。政府は公助によってではなく、民の自助で乗り切る自信を得、国の根本問題から目をそらし続ける自信を得た。財務省には財政健全化の飴玉をしゃぶらせつづけ、実を捨て虚を取る方策を固め、基礎研究の研究者の苦しみから目をそらし続けたのである。基礎研究の研究者の苦しみから目をそらし続ける!政治家にとってはそれでよからう。しかし大学にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかないはずはない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、ごまかしがはじまった。
銘記せよ!遡ること国立大学法人化以来十七年間は、大学にとって悲劇の日々だつた。国立大学法人化以来十七年に渡って、大学運営交付金の増額を待ちこがれてきた大学にとって、決定的にその希望が裏切られ、研究環境の改善、研究者の待遇改善は政治的プログラムから除外され、自民党民主党、学生の味方を名乗る公明党までもが、教育・研究業界の崩壊をただただ放置し続けた日々であった。この日々はまさに「競争的資金」に頼らなければ学生の指導もままならない大学を量産し続けた日々であった。研究者たちは、研究・教育の資金を得るために「研究業績」にも「教育の業績」にもならない書類を大量に書かなければならなくなってしまったのである。これ以上のパラドクスがあろうか。
われわれはこの日々に政治の動向を一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし大学教員に研究者の魂があるのならば、どうしてこの事態を目視しえよう。自らを迫害するものから資金を得るとは、何たる道義的矛盾であらう。研究者であれば、研究者の誇りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり研究者である。われわれはひたすら耳をすました。しかし大学のどこからも、「自らを迫害する政府のために研究業績を積め」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった*1。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、大学は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。われわれは卒業後のポストがないと何もできぬ。しかし博士号取得者に与えられるポストは悲しいかな、最終的には日本政府は用意しないのだ。日本のように教育機関に研究機関に資金を与えずただ「業績を出せ」などと叫び続ける異常な国は他にはないのだ。
この上、財務省文部科学省の戯言に賛同し、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする大学は魂が腐ったのか。研究者の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大なハコモノになって、どこへ行こうとするのか。学術会議任命拒否に当たっては自民党売国奴呼ばわりした者もあったのに、国家百年の大計にかかわる教育・事業に金を出さない政府には、抗議して腹を切る大学教員一人、大学からは出なかった*2
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒瀆する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。「すぐ役に立つ」という目先の利益のみで、魂は死んでもよいのか。「すぐ役に立つ」以上の価値なくして何のための研究だ。今こそわれわれは「すぐ役に立つ」以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは応用研究ではない。基礎研究だ。われわれの愛する永遠不変の「真理」だ。これを骨抜きにしてしまった文部科学省財務省、政府に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の研究者として蘇ることを熱望するあまり、この暴挙に出たのである。





応用尊重のみで、研究界隈は死んでもよいのか。「すぐ役に立つ」以上の価値なくして何のための研究だ。今こそわれわれは「すぐ役に立つ」以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは応用研究ではない。基礎研究だ。われわれの愛する永遠不変の「真理」だ。これを骨抜きにしてしまつた文部科学省財務省、政府に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか!

(その直後、バルコニーから総監室に戻り割腹)

参考文献

1. 三島由紀夫、『檄』 http://sybrma.sakura.ne.jp/348mishima.gekibun.html
2. ニッソちゃん、『Vtuber底辺論~聞け!V一匹が命をかけて諸君らに訴えているんだぞ!~』 https://note.com/joicleinfo/n/n64a5778b2a3d
3. Wikipedia 三島事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6



このブログ記事はフィクションです。

*1:実際はさまざまな学生、研究者、団体が声をあげている。そういった方々には申し訳ないと思っているが、パロディ的にはそっちのほうが面白いので、原文のママにした。

*2:腹を切った大学教員は残念ながら居なかったと思うが、この現状に不満の声を上げる教員はたくさんいた。そもそも、腹を切ったところで、どうなるのかという話でもあるが……