Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

思考の流し台. 駄文注意.

今日もバカ噺を一つ

 仮面の日曜数学者です. 

 

 キチンとした記事を書こうとすると, やっぱり時間がかかるので今日もバカ噺を書こうかと思います*1.

 今, 白雪姫がケーキを統計を使って公平に分割する話がはやっているようなので, そういった噺を一つ. 

motcho.hateblo.jp

 

統計に詳しいという噂のJは絶対に飛行機に乗らないことを公言している. 

曰く「飛行機には爆弾がのせられている確率が高い」からだそうで. 

そんな彼を飛行場で見かけた. なんと飛行機の搭乗待ちらしい. 

なぜだろうと思って話を聞いてみると

「飛行機には爆弾が一個乗っている確率は高いが, 二個乗っている確率が低いことが分かった. 特に一個一個別々に飛行機に乗せられる確率はかなり低い. だから, すでに一個持ってきた」

 

*1:キチンとしたのも並行して書いていますが, 間違ったことを書きたくないので, 取材に時間がかかります......

数学小噺を一つ.

 仮面の数学者です. 前回の更新が2か月前なんて信じない......

 毎日のようにブログを更新できる人を僕は心の底から尊敬しています. 創作で最も難しいのは最後まで作品を完成させることだっていうけど, ブログも同じような気がします. 

つまり, 大事なのは根気......

 

 今日書こうと思い立ったのは「数学ジョーク」についてです. 

 

 数学やっている人は意外とジョークが好きです. 一番の好例は存在しない数学者をあたかも存在するかのように扱ったBourbakiの件でしょう. 彼らの場合フランス人なので「えすぷり」ってやつですかね.

 

 そんなわけかどうかはわかりませんが, 世の中には「数学」をテーマにしたジョークがたくさんあります. 今日はその中から有名なものを一つ. 

 イギリスのコンウォールの大草原の中を汽車が走っていく. その中で学会帰りの天文学者, 物理学者, 数学者, 生物学者が談笑していた. そんな4人の目の前の草原に黒い動物がいるのが見える. 天文学者が言う. 

「コンウォールのヤギは全身が黒いんだなぁ」

それを聞いた物理学者が笑いながら

「それは少し正確じゃない. コンウォールにいるヤギのうちの一匹の全身が黒いんだ」

それを聞いた数学者はボソッとつぶやいた. 

「それだから君らはよく間違いを犯すんだ. もっと正確にはコンウォールにいるヤギのうちの一匹は少なくともこちら側が黒いんだ」

それを聞いていた生物学者, 笑いをかみ殺しながらこういった. 

「君たち, あれは羊だ. 」

 

非参考文献

 個人的に落語が好きで昔, 天狗連っぽいことをやっていました. そんなときにこういった数学ジョークを使っていました. そんなわけで好きな落語の本をここに置いておきます. 

落語こてんパン (ちくま文庫)

落語こてんパン (ちくま文庫)

 

 

同じということ―定義のはなし―

仮面の日曜数学者です. 

約一か月ぶりの更新です. 新しい年度が始まってバタバタしてました. 

 

 知り合いの中学生から聞いたのですが, 昨今の数学の先生の中には「数学の定義は一字一句全く同じでなければならない」と思い込んでいる人がいるそうです. 

 その子が出会った事案としては素数の定義についてテストで「1より大きい自然数の中で約数を1とそれ自身の他に持たないもの」と答えたところバツをもらったそうです. なぜかというと素数の定義は「1より大きい自然数の中で約数を1とそれ自身のみであるもの」と教えたからだそうです. とても悲しい事件です. 国語力の低下が叫ばれる理由もわかります. 

 

 まぁ, 学校の数学の先生が数学をわかっていらっしゃらないのはいつものことなので, そのことを批判する気はありません*1が, 今回は数学における「同じ」とは何かについて少し書いてみようと思います. 

 

 同じ対象だけれども違う定義があるものとして, 自然対数の底$e$が最初に思いつきます. もちろんここでいう「定義が違う」とは先の例の教師のような日本語レベルのゆれの問題ではありません. 

 

 私が知っているだけでも次の3つがあります. 

 

1. 次の等式を満たすような$e$を自然対数の底という.  \[\lim_{h \to 0} \frac{e^{1+h}-e^1}{h} =e. \]

2. 次の極限\[\lim_{n\to \infty}\left(1+\frac1n \right)^{n} \]の行き先を自然対数の底という. 

3. 次の級数\[\sum_{n=0}^{\infty}\frac{1}{n!}\]の行き先を自然対数の底という. 

 

 これらの定義が「同じ」であるというのは「論理的に同値である」からです. すなわち,

定義1. $\Leftrightarrow$ 定義2. $\Leftrightarrow$ 定義3.

 が成り立ちます*2

 同様にして論理的に同値であれば同じものを「定義」できます. 素数も「自然数のうち約数を2つのみ持つもの」などと定義してもよいわけです. 

 そのように多くの定義を持つものは多くの場合「抽象的」なものであることが多いです. たとえば, 群, 位相空間, 連続写像etc. 

 

 なぜそのように定義が複数あるものがあるのか? おそらく「同じ構造」を持つことがわかっていれば, 数学的には同じ対象で, どの定義から話を始めるのが一番楽かということなのでしょう. 定義はもちろん大事ですが, それが表す対象がなんであるかということが最も大事だと思います. 

 

 そういった数学的対象がどこにいるのかという問題は難しいのでまたの機会に. 

 

そんなわけでGW楽しんでいきましょう. 

 

 

ところで, 自然数の定義に0は含むべき異論は認めない. 

*1:しする気も起きません. あきらめました.

*2: $\Leftrightarrow$は「左辺から右辺が証明できかつ右辺から左辺が証明できる」という意味だと思ってください.

私的日曜数学者のための入門書まとめ―線型代数編―

こんばんは. 仮面の日曜数学者です. 

アオイホノオを見ながら「青春時代って痛々しいよね」とやっています.  

 

今回は下の記事の続き. 

sokrates7chaos.hatenablog.com

  誰にも望まれていない感はありますが, 中途半端で終わらせるのはやっちゃいけないとじっちゃがいっていたので, 書こうと思います. そんなわけで, もう一つの大きな柱「線形代数」編のはじまりはじまり. 

 

 今回の基準は次の通り. 

(1) 和書であること*1

(2)  「入門書」であること. すなわち前提知識が高校数学程度のもの. 

(3)  ある程度の定評があるもの(つまり私が評判を聞いたことがあるか実際に読んだことのあるもの). 

(4)齋藤 正彦の『線型代数入門』と同程度の内容であると推測されるもの. 

 例によって最後の(4)は某先生のおすすめですね. 

 

 と言いつつ, 自分が目を通したことのある線型代数の本は数冊しかなかったので, 前回よりもボリュームダウンして2冊しか上げられないことに気が付きました. ホントにこの企画に不適当な人間だなワシ......

 しょうがないので, 番外をつけてごまかします. 

[1]齋藤正彦「線型代数入門」東京大学出版

線型代数入門 (基礎数学1)

線型代数入門 (基礎数学1)

 

 

線型代数演習 (基礎数学 (4))

線型代数演習 (基礎数学 (4))

 

 

 はい. 一つ目はみんな大好き齋藤線型代数ですね. 大学に入って最初に買った教科書以外の線型代数の本だったりします. 実は最初にきちんと読もうとした本なのですが, 第3章あたりで挫折した記憶があります. ←だめじゃん. 

 この記事を書くにあたって, 久しぶりに引っ張り出してきましたが「今なら読めるぞ」ってやってます(ほんまかいな). 

 自分の手元の線型代数の本の中では解析系の話題がまとまって載っている(第7章)のが良いです. 

[2]佐武一郎『線型代数学』裳華房

線型代数学(新装版) (数学選書)

線型代数学(新装版) (数学選書)

 

 2冊目は, 最近新版が出て話題になった佐武線型代数です. 自分が持っているのは旧版の方ですね. 

線型代数学 (数学選書 (1))

線型代数学 (数学選書 (1))

 

  某氏が「数学系のM1になりたい人が入院の前に読み切るべき本」と言っていたことを思い出します. こちらは最終的にテンソル代数に向かっていきます. 齋藤先生の本とはちょっと方向性が違うので, 単純な比較はできませんが, こっちの方が少しだけ読みやすかったイメージがあります.  ところどころで「研究課題」という章があるのが面白いです(今まで以上に薄っぺらい感想). 

[番外]長岡亮介線型代数入門講義――現代数学の"技法"と"心"』東京図書

長岡亮介線型代数入門講義―現代数学の“技法”と“心”

長岡亮介線型代数入門講義―現代数学の“技法”と“心”

 

 たぶんこの中で一番"簡単"な本. これだけ分厚いのにJordan標準形で終わるという圧倒的な「丁寧さ」がすごい. その分応用についてはすこし物足りなかった記憶がある. 明らかに(4)の基準は満たされていないので, 「番外」とした. これで数学の考え方に慣れて, その後に上の本に改めてアタックするというのもひとつの手ではないだろうか......

 というか, 自分がそんな感じだった. ある意味, 今回紹介した中では一番日曜数学者向けの本かもしれませんな. 

 

 ところで, 行列式の定義ほとんどの本では置換を用いて定義しているのですが, 個人的には次の定義が好きです. 

(i) detは多重線型性を持つ. 

(ii) detは列, 行に対して交代性を持つ. 

(iii) det(I)=1. ただしIは単位行列.  

 こちらの方が実際の計算を示唆してくれるので, カッコよくないですかそんなことないですかそうですか. 

 

 そんな感じで線型代数の回を終了したいと思います. 

 最後に昨今, 「線型代数詐欺」が横行しております. 講演内容として「線型代数」を謳っておきながら「関数解析」や「多様体」の話を始めるというものです. みなさまどうぞお気をつけなさいませ. 

*1:洋書を含めたまとめはry

私的日曜数学者のための入門書まとめ―微積分編―

 どうも仮面の日曜数学者です. 

 前回変な記事を書いたおかげでいろいろ吹っ切れて感じるままに記事書くかと開き直ったら気が楽になりました. ブログって元々日記を公開することで自己顕示欲を満たすためのツールですよねっ!←たぶん違う. 

 

  さてさて, この前知り合いの日曜数学者が「難しい数学に手を出したいけど, どこから手を出せばよいかわからん」という発言を某生放送でしていて「あぁ, なるほどな. 好きなところから手を出せばいいと思うんだよな. でも, 数学の世界広すぎてどこから手をだせばいいかわからんのも一理あるな」という感想を抱いてたのですが, そんな折, 某W大のセンセイ某SNSで「数学書を軽く読むのに必要な基礎力は『微積分』と『線形代数』である」という趣旨の発言をされていて, 「なるほど確かに. 何から始めればわからないマンはその辺からやればよいのかぁ. じゃあどういう本を読めばいいかのまとめとか作ったら喜んでもらえるかなぁ」という気分になりました. 

 

 まぁ, そういったことをやるには僕は適切な人間か怪しいですが, たたき台ぐらいにはなるだろうと思うのでとりあえず作ってみました*1. おかしなところや「いやこれも上げろや」というテキストがあれば指摘をお願いします. 

 

 そんなわけで解析弱者による「日曜数学者のための入門書まとめ―微積分編―」のはじまりはじまり*2

 

 と言っても「微積分」の本は星の数ほど出ているかと思うので以下の条件で絞り込みました. 

(1)  和書であること*3.

(2)  「入門書」であること. すなわち前提知識が高校数学程度のもの. 

(3)  ある程度の定評があるもの(つまり私が評判を聞いたことがあるか実際に読んだことのあるもの). 

(4) 高木貞治の『解析概論』と同程度の内容であると推測されるもの. 

 (4)は冒頭の話に出ていた某先生の推薦書が高木貞治の『解析概論』だったからですね. 

 以下の順番は思いついた順なので, おすすめ順とかではありません. 好みの問題があると思うので, 自分が良いと思うものを選べばよいと思います. 読み比べると面白いかもしてません. 

 

[1] 高木貞治『解析概論』岩波書店

定本 解析概論

定本 解析概論

 

 おそらく, 日本の解析学入門の祖みたいな存在の本ですね. 以下に挙げる本のほとんどすべての参考文献に上がっていたイメージがあります. 高木貞治先生の著作権は切れている*4はずなので, オープンソース化されているかと思っていたのですが, まだのようです. 一応下のようなプロジェクトは始まっているようであります. 

Wikisource:高木貞治プロジェクト - Wikisource

 高木先生は他にも整数論の本を書いていらっしゃることで有名ですね. こちらは上記のプロジェクトに一部内容が上がっています.  

代数学講義 改訂新版

代数学講義 改訂新版

 

 

初等整数論講義 第2版

初等整数論講義 第2版

 

 一応参考のため. 

 

[2] 小平邦彦『解析入門』岩波書店

軽装版 解析入門〈1〉

軽装版 解析入門〈1〉

 

 

軽装版 解析入門〈2〉

軽装版 解析入門〈2〉

 

 小平解析と呼ばれることもあるシリーズ. 高木先生の本は「実数の構成」については付録に回していらっしゃったのですが, 小平先生は「Dedekind Cut」を使って「実数を構成」していらっしゃいます. 大学に入って初めて買った解析学の本だった記憶はあるのですが, いつのまにかどこかへ行ってしまいました(). ←おい

 たぶん, 僕の部屋のどこかにはまだあると思うのですが......

 確かLebesgue積分だけは載っていなかったので他の本を参照する必要があるかと思います. 

 

[3]杉浦光夫『解析入門』東京大学出版

解析入門 (1)

解析入門 (1)

 

 

解析入門 (2)     基礎数学 3

解析入門 (2) 基礎数学 3

 

 みんな大好き杉浦解析です. 初等解析に関してはこの本に載っていることで大概解決する説ある. 通しで読むにはかなりの力が必要かと思いますが, 辞書として使うのもありかもしれません. この本では実数を公理的に扱っています. すなわち「連続性を持つ順序体」として「実数」が同型を除いて一意に定義されています. 

 最近この本をキチンと読み込まないとなぁという機運が高まっています. 

 Riemann積分を主に扱っているので, Lebesgue積分については他の本をあたる必要があります. 

 

[4] 宮島静雄『微積分学』共立出版

微分積分学〈1〉1変数の微分積分

微分積分学〈1〉1変数の微分積分

 

 

微分積分学〈2〉多変数の微分積分

微分積分学〈2〉多変数の微分積分

 

 この本だけキチンと目を通したことがありません. 本屋でチラ見をした程度です. ただすごい読みやすかったイメージがあります. 数学系ではない友人Aに「微積分学」の本のおすすめを求められたときに, 適切な本が思いつかなかった私が, 他の数学系の友人Bに相談した際, Bに推薦された記憶があります. 

 

 

こんなところでしょうか......

他に良い本があれば教えてください. 

 

最後に「たくさん本を知っている奴は数学できないことが多い」というある人に言われた金言を残しておしまいにしたいと思います. ありがとうございました. 

*1:きっと僕より強い人たちがもっと適切なまとめを作ってくれる.

*2:誰が得をするんだ.

*3:洋書を含めたのはきっともっと適切な人がやってくれる.

*4:2010年に没後50年経過.「日本で最初の国際的数学者」と呼ばれるだけあって, かなり昔の方です.

コンパクト性定理とTychonoffの定理

どうも仮面の数学者です. 

 気が付いたら一か月以上このBlogを放置していました. ずぼらで申し訳ない......

 

 今回は数学基礎論サマースクール2015にて, 教えてもらった「(命題論理の)コンパクト性定理」を「Tychonoffの定理」から証明する話です. 部屋の大掃除をしていたら, 数学基礎論サマースクール(以下基礎論SS)のときのノートが出てきたので, 自分用のまとめも兼ねて書くことを思い立ちました. 

 

コンパクト性定理とは以下のようなLogicの定理である(この定理に含まれる用語などは後で解説, 定義する). 

[コンパクト性定理]

理論$T$に対して次の(1), (2)は同値である. 

(1)「$T$はモデルを持つ」

(2)「どんな$T$の有限部分集合もモデルを持つ」

 

 対して, Tychonoffの定理は次のような位相空間についての定理である. 

[Tyconoffの定理]

位相空間の族$\left\{S_{\lambda}\right\}_{\lambda\in\Lambda}$の直積空間を$S=\prod_{\lambda\in\Lambda}S_{\lambda}$とするとき, $S$がコンパクトであるためには, すべての$\lambda\in{\Lambda}$に対して$S_{\lambda}$がコンパクトであることが必要十分. 

 

 この二つは一見つながりがあるように見えないが, Tychonoffの定理を使うとコンパクト性定理を示すことができる. どうもこの辺りの関係が「コンパクト性」と言われる由縁のようである. 

 

 今回は人口的になじみの薄い人が多いであろうLogic側の定理であるコンパクト性定理の主張を理解するために必要な言葉の定義をして, Thyconoffの定理からコンパクト性定理を証明してみよう*1.

 

 「Logicとはどのような学問であるか」と問われると, どのように答えても炎上するような気がするが, ある一面の捉え方(これなら燃え上がらないと思いたい)としては「記号列とその意味世界についての数学」と言えると思う. 

 今回扱う「記号列」は「命題論理」と呼ばれる人工的な「言語」である. この「言語」は「命題同士の関係」について記述ができる世界(体系)ではあるが, 逆にそれ以上のことは表現できない体系である*2

 まずこの「言語」で使われる「記号」の集合を定義しよう. 

 [定義:記号]

「命題論理」の記号の集合\Sigma は以下の記号の集まりである. 

・命題記号 

\begin{align*}&{A, B, C, D, }\dots;\\&{X, Y, Z, }\dots;\\&{A_1, A_2, A_3, }\dots.\end{align*}

・論理記号

\[\lnot, \land, \lor, \to. \]

  論理記号についてはLogicになじみのない人々でも見たことがある人が多いように思われる.

 一応なじみのない人のために少しだけ解説すると$\lnot$は「否定」, $\lor$は「または」, $\land$は「かつ」, $\to$は「ならば」などと呼ばれることが多いと思う. ここではただの記号でしかないので「意味」というものを考えてはならないが, 気持ちとしてはそういったものを含んでおり, 実際, 後でそういったものを意味するように「記号」の意味を定義する. 

 

 これらの記号をある一定のルールに並べると論理式という「文」にあたるものができる. ラフに言えば「文法」にあたるものである. 

[定義:命題記号の論理式]

 命題記号の論理式とは次の2つの規則によって帰納的に得られる記号の有限列のことである. 

(1) 命題記号は論理式である. 

(2) $\phi, \psi$が論理式の時, 以下も論理式である. 

\begin{align*}&\lnot\phi, &\land\phi\psi, \\&\lor\phi\psi, &\to\phi\psi.  \end{align*}

 ここでいう「帰納的」とは, 「有限回これらの規則を適用して」という意味である*3

 一応, 例を挙げておく. 

[例:論理式]

以下の記号列は論理式である.

\begin{align*}&\lnot {A}\\&\to {A}\\&\lor \lnot {A}\land {BC}\end{align*}
以下の記号列は論理式ではない. 

\begin{align*}&\lnot {A}\lor\\&{A}\lnot \mathbf{B}\\&{A}\lor {B}\end{align*}

 最後の${A}\lor {B}$が論理式でないことに違和感を覚える方もいるかもしれない. 確かに, 数学徒が"ラフ"に使っている論理式などでは, ${A}\lor {B}$普通に使っている*4.

 しかし, 今回の体系では${A}\lor {B}$というのは「文法違反」なのである. 今回の体系では「かっこ」を排除したかったのでそのような記法を採用した. しかし, $\phi\lor \psi$なども扱えるようにしておいた方が後で便利そうである. そこでこれらの記号列は「略記」として扱うことにしよう. 

[定義:論理式の略記] 

$\phi, \psi, \rho$を論理式とする.

i) $\phi\land\psi$は$\land\phi\psi$の略記である. 

ii) $\phi\lor\psi$は$\lor\phi\psi$の略記である. 

iii) $\phi\to\psi$は$\to\phi\psi$の略記である. 

iv) $\%, *$を$\lor, \land, \to$のいずれかの記号とする. 

このとき$\left(\phi \% \psi\right)*\rho$を$* \% \phi\psi\rho$の略記とする. 

また, $\phi \%\left(\psi*\rho\right)$を$\%\phi*\psi\rho$の略記とする. 

$\lnot \left(\phi\%\psi\right)$は$\lnot\%\phi\psi$の略記とする. 

 以上のように定義しておけば, 数学徒が普段使っている"ラフ"な論理式を我々の体系でも略記として扱えそうである*5

 次にこれらの論理式に「意味」を与えることを考えよう. 命題${A, B, \ldots}$がどのような「意味」「ニュアンス」を持っているかは今回は興味の対象としない. 今回は「命題同士の関係」にのみフォーカスをあてるので, せいぜい${A, B, \ldots}$の真, 偽がわかればよい. そのため以下のような定義になる. 

 [定義: 論理式への真理値割り当て]

I) 命題記号全体から2値集合$\left\{\mathrm{T, F}\right\}$への関数$M$を真理値割り当てという. 

II) $M $を真理値の割り当てとする. 以下i)-iii)を帰納的に満たす命題論理の論理式全体から2値集合$\left\{\mathrm{T, F}\right\}$への関数$S$を$M $による解釈という. 

i) 任意の命題記号$\mathbf{X}$に対して, $S\left(\mathbf{X}\right)=M\left(\mathbf{X}\right)$

ii) 任意の論理式$\phi$に対して

\[S\left(\lnot\phi\right)=\begin{cases}\mathrm{F} &\text{if $S\left( \phi\right)=\mathrm{T}$};\\ \mathrm{T} &\text{Otherwise}.  \end{cases}\]

iii)任意の論理式$\phi, \psi$に対して

\begin{align*}S\left(\lor\phi\psi\right)&=\begin{cases}\mathrm{F} &\text{if only $S\left(\phi\right)=\mathrm{F}, S\left(\psi\right)=\mathrm{F}$};\\ \mathrm{T} &\text{Otherwise}.  \end{cases} \\ S\left(\land\phi\psi\right)&=\begin{cases}\mathrm{T} &\text{if only $S\left(\phi\right)=\mathrm{T}, S\left(\psi\right)=\mathrm{T}$};\\ \mathrm{F} &\text{Otherwise}.  \end{cases}\\ S\left(\to\phi\psi\right)&=\begin{cases}\mathrm{F} &\text{if only $S\left(\phi\right)=\mathrm{T}, S\left(\psi\right)=\mathrm{F}$};\\ \mathrm{T} &\text{Otherwise}.  \end{cases}\end{align*}

 この定義の後半の気持ちは以下のようなものである. 

 

 Tはtrue, Fはfalseの頭文字である. それぞれの意味するところは良かろう. 日本語ではTは「」, Fは「」などと呼ばれることもある. 

 $\phi\land\psi$が真になるのは, $\phi, \psi$が同時に真になる時であり, $\phi\lor\psi$が真になるのは, $\phi, \psi$のどちらか少なくとも一方が真になる時である*6. これらに異論はないであろう. 

 $\phi\to\psi$については事情は複雑である. 4つのケースに分けて考えてみる. 

 

i) $\phi$が真で, $\psi$が真の時

ii) $\phi$が真で, $\psi$が偽の時

iii) $\phi$が偽で, $\psi$が真の時

iv) $\phi$が偽で, $\psi$が偽の時

 

 i)の時に真でii)の時に偽なのは異論がないと思われる.

 iii), iv)のときにどちらも真になるのは「前提が間違っているときには結論が真だろうが偽だろうが, その文章全体としては真」というものである*7. 開き直って, この体系での$\phi\to\psi$は$\lnot\phi\lor\psi$と同じ意味と思ってもよいかもしれない. 

 

  さて, 以上のような準備の下で「理論」と「モデル」を定義しよう. 

[定義: 理論, モデル]

i) 命題論理の論理式の集合(有限でも無限でもよい)を理論(theory)という. 

ii) 理論$T$を解釈によって, すべて真にするような真理値割り当てを$T$のモデルという. 

iii) 理論$T$と論理式$\phi$に対して\[T\models\phi\]とはどんな$T$のモデルに対しても$\phi$を真とする時をいう. 

iv) $T$が空集合の時, 単に$\models\phi$と書き, このような$\phi$をトートロジーという*8

 論理式の集合を理論と呼ぶのは不思議に思うかもしれないが, これは気持ちとしては「公理」を意味しているのである. ホントはここから「推論」を定義し, 「公理」から「定理」を証明するという風に話(構文論)を持っていくのが普通であるが, (長くなるので)今回は割愛することにする. 

 例だけは出しておく. 

[例:理論, モデル]

$T=\left\{{A}, \land{A}\lnot{B}\right\}$のモデルは

\begin{align*}M\left( {A} \right)&=\mathrm{T}\\ M\left( {B} \right)&=\mathrm{F}\end{align*}

というものを満たす真理値割り当てである. 

  さあ, これでコンパクト性定理に出現する用語の定義はすべて出そろった.  

 Thyconoffの定理からコンパクト性定理を証明しよう.

 

[証明]

(1)$\Rightarrow$(2)は自明.

(2)$\Rightarrow$(1) を示す. 

 真理値の集合$I=\left\{\mathrm{T}, \mathrm{F}\right\}$に離散位相が入っているものとして扱うこととする. 

 $P$を \Sigmaに含まれる命題記号すべての集合とする. 

 $P$を添え字集合として$I^P$という積位相空間を考える.

 $I$がコンパクトであるから, Thyconoffの定理よりこの空間はコンパクトである. 

 $S$を理論$T$の有限部分集合として, 

\[C_S:=\left\{v\in I^P\left|\text{$v$は$S$のモデル}\right.\right\}\]

を考えると, この$C_S$は$T$の有限部分集合にはモデルが存在することから空ではない. また明らかに閉集合である. 

このとき, $\left\{C_S\left|S\text{は$T$の有限部分集合}\right.\right\}$は有限交差性を持つ. 

 実際$S_1, S_2$を$T$の有限部分集合とすると, $C_{S_1}\cap C_{S_2}$は$S_1\cup S_2$のモデル全体の集合になっているが, $S_1\cup S_2$もまた有限集合であるから$C_{S_1}\cap C_{S_2}$は仮定より空でない. 

$I^P$がコンパクトであることから$I^P$の閉集合の族が有限交叉性を持つとき, その族すべての共通部分は空でない. 

 すなわち, \[\bigcap_{S\subset T:\text{有限}}C_S\neq\emptyset\]

 このとき, $\bigcap_{S\subset T:\text{有限}}C_S$の元が$T$のモデルとなっている.   $\blacksquare$

 

 ふぅ, 疲れた. 

 

 自分の知らない分野同士のつながりが見えた時の感動は素晴らしいですね. 逆にコンパクト性定理からTyconoffの定理が証明されるかとても気になりますが, まだ考え中です.  

 このあたりの対応関係についてはもっと掘り下げると面白そうですが疲れたのでまた今度......

 Tyconoffの定理周辺については気が向いたらまた取り上げます. 

 

参考文献

今回詳しく取り上げたLogic側の参考文献は以下の通り. 

[1] 基礎論夏の学校2015チュートリアルのノート

http://www2.kobe-u.ac.jp/~mkikuchi/ss2015.html

[2]

数理論理学

数理論理学

 

[3]

数理論理学 (現代基礎数学)

数理論理学 (現代基礎数学)

 

[4]

Mathematical Logic

Mathematical Logic

 

 特に論理式の定義は[4]を主に参考にしました. 証明の部分は[1]のまんまです. 

 

次に位相空間についての参考文献. 最初にこの記事の話を聞いたとき, 自分が位相空間弱者なことを思い知らされました. まぁ, 数学全般弱者ですが......

[5]

集合・位相入門

集合・位相入門

 

[6] 

集合と位相 (数学シリーズ)

集合と位相 (数学シリーズ)

 

 [5]は定評のある教科書ですが, 回りくどい記述が多いかも. [6]は位相空間論に入ってからが本領発揮です. 

*1:位相空間側のThyconoffの定理については気が向けば, このblogでも取り上げようとは思うが, 今回は記事の長さの関係で割愛する.

*2:かなりラフな言い方をしているので語弊があることは認める. ちなみに私は詳しくないが, 組み合わせ論的なことはこの体系でも表現できたりするようである.

*3:こういった定義のことを帰納的定義」という.

*4:ラフって何だろうね

*5:たぶん

*6:日常会話では$\phi, \psi$のどちらか一方のみが正しい時にも使っているが, 今回はそういったケースは考えないことにする.

*7:この件に関しては様々な本にそれぞれの理由付けが書いてあるのでそちらを参照した方が良いかもしれない.

*8:下の2つは今回は使わないが気が向いたときに命題論理の構文論についての記事を書くかもしれないのでその時にでも使おうと思う.

読書ノート――数学的対象の必然性とア・プリオリ――

 

数学を哲学する第2章第1節「必然性とア・プリオリな知識」まとめ

 

用語の定義

ア・プリオリ(a priori)「経験に先だって」「経験とは独立に」

ア・ポステリオリ (a posteriori)「経験的に知られている」

 

ア・プリオリに知られる知識」:⇔「『現実世界の様々な出来事がある特定の仕方で進行していくという経験』のどんなものにも依存しない知識およびそれを表現するための命題」

Remark

 その命題を把握するために必要な経験に関しては考えない. 

 たとえば, 「ア・プリオリな命題」としては, 数学的な命題「Euclid空間上の三角形の内角の和は180°」というものがあるが, この命題の内容を理解するためには「日本語の知識」「三角形という対象がいかなるものか」などの「経験による知識」が必要であるが, この命題が真であるかどうかにはこれらの知識には依存しない(と考えられる). 

Example

以下の2つの命題はア・プリオリである. 

「あらゆる赤い対象は色を持つ」

「『リンゴは赤い』ならば『リンゴは赤い』」

 

「ア・ポステリオリに知られる知識」:⇔「その知識を表現する命題が真であると知るには世界に対する経験が必要」

Remark

 この場合もその命題を把握するために必要な経験に関しては考えない. 

Example

以下の3つの命題はア・ポステリオリである. 

「猫がマットの上にいる」

ソクラテスは死ぬ」

「電場, 磁場はマクスウェル方程式に従う」

 

本論の内容

 数学的対象と他の科学的対象の違い

 科学的な対象は偶然性, 経験によるところが大きい. たとえば, 「重力が距離の2乗に反比例する」という命題はこの世界が偶然この世界がそうなっているからで, 必然性はない. 「重力が距離の3乗に反比例する」するような世界を空想することはできる. 

 だからこそ, 科学者たちは自分たちのより根本的なテーゼが誤っているのを(もちろん, 明らかな証拠が提出されるということがないといけないが)ためらいなく認める. 「科学は更新される神話である」という言があるが, いわゆる科学革命などが起こっているのがその証左である. たとえば, 光速に近い速度で動く物体に対してNewton力学を適用するべきでないと分かったのは19世紀後半から20世紀初頭のことであるが, 相対論という新たなテーゼを採用することによって物理は新しい時代を迎えた. 

 対して, 数学はそうではない. 自然数上での「5+7=12」はいつの時代でも「真」であるし「偽」であったことはない. 「5+7=11」が真になるような数学革命の類は未だかつて起きたことがないのである(新たな概念が見つかることによる数学革命は起きたことがあるが, ここでいう「数学革命」はそういったモノではない)

 こういった科学の蓋然性にあたるものが数学にはない. では, 数学的命題と科学的命題の差はなんであろうか?

 そのヒントは数学の方法論である「証明」にある. 数学の正しさは「前提の正しさ」と論証に用いられている「論理」の正しさにこそある. 

 

数学とア・プリオリ

 多くの思想家が認めるように数学は「正しさ」の度合いが高い. なぜだろうか? 

  また, 数学的言明は「ア・プリオリである」ように見える. なぜなら, その正しさは「証明」によって保証されるものだからである.

 この数学の「見た目の必然性」と「ア・プリオリ性」を説明することは数学の哲学(数理哲学)の課題の一つである. 

 この問題に対するアプローチの「伝統的路線」としてはその「ア・プリオリ性」と「必然性」を明確に「定義」しその関係性を明らかにし, それを数学に当てはめることによって「数学の必然性, ア・プリオリ性」を明らかにすることである. 

 しかし, 仮にその数学の「ア・プリオリ性」と「必然性」には微妙な問題が存在する. すなわち, 数学は物理的現象を記述するのにも用いられる点である. 

 

数学, 物理世界, ア・プリオリ, ア・ポステリオリ......

 数学は「ア・プリオリ」つまり経験によらないものなのに「物理世界の記述」という全く「ア・ポステリオリ」なモノを説明するのに使えるのか? 

 みんな大好きカント大先生はそれを「総合的ア・プリオリ」なる概念によって説明しようと試みたらしい. どうやら, 「数学」が「物的世界」を知覚する仕方であると捉えることによって, 「数学」の「ア・プリオリ性」を格率しようという試みらしい. 具体的には第3章で見るそうなので, その際に......

 ただ, このアプローチは問題があるようで, 「ア・プリオリ性」や「必然性」のような曖昧な概念の確立という問いを直観に関わる余計に難しい問題にすり替えてしまったのではないか, と捉えられているらしい. アルバート・コッファ(Coffa 1991)という人によると「19世紀を通しての西洋の哲学の課題」の主要項目が, こういったカントの立場を用いずに「ア・プリオリな本性」と「数学の応用」を説明することであったらしい. 現在もこの検討課題は今日でも生きているとのこと. 

 

「伝統的路線」以外

  もう一つの路線としては「数学的原理はア・プリオリではない」という路線である. 

 つまり「ア・プリオリ」なモノは存在しないとするか, 「ア・プリオリ」という概念をもう少し厳しく限定するかのどちらかを取るのである. 

 主に経験主義者やクワイン自然主義の影響下にある人々によって支持されているらしい. 最近はクワインのおかげでこの路線もポピュラーになりつつあるようだ. 

 この路線の場合は「数学的対象はなぜ, ア・プリオリに見えるのか」ということが主題になるようだ. 「ア・プリオリに見える何か」を数学は持っているはずなので, その「何か」とは何であろうか, という疑問にすり替わるわけである. 

 

疑問点

 数学革命について

 数学の歴史上も数学の基盤を疑うような出来事はあったような気がする. すなわち, 素朴集合論の矛盾などから起こった論争やクロネッカーの「神は自然数のみを作りたもうた」論などである. まぁ, そのあたりの事情には詳しくないので, 直観主義をもう少しかじってから議論した方がよいと思うので止めておく. 議論の大筋に関係するような話ではないので, 今回は目をつぶってしまおう.  

 

数学の必然性とア・プリオリ性についての問題に対する「伝統的路線」について

 「この路線の前提としては物事がそれらがそうであるように見えるとき, 実際にそうなっているという格率に従う. 」(p.29)と書いてある. うーん...... 

  なんかこの格率すごい主張である. 「みんなが犯人だと思ったからあいつが犯人です」みたいなことを言っているようなものだものな. 哲学やっている皆様はサイコメトリーとか持っていて, 真理が見抜けるとでもいうのか. コナン君も真っ青だ(もちろんこの格率は「哲学的対象」に限定してのことであろう). 

 さて冗談はさておき, 我々が数学が「ア・プリオリ」と判断するのは「証明」によってその正しさが保証されているからである. つまり「数学的言明の前提(公理)」と「論理」が「ア・プリオリ」で「真」なものと捉えているからこそ「数学はア・プリオリである」と感じるのであろう.

 論理の方はともかく「前提」の方はほんとかにゃあ?ってなる. 実際に「非伝統的路線」はそういう方向に動いているようだし.  んー, 結構大事なことなのに, まだこの辺りが確立されていないっていうのは不思議だ.  そうすると数学的な「構造」はこの世界のあらゆる場所に存在する「ア・プリオリ」な「実存」とでもなるのかしら? この辺り, 実存主義との関連が気になります気になります. 

 この辺りは, まだまだ検討の段階のようなので, もう少し勉強してからまた考えることにしよう. 

カントについて

 私はカントがあまり好きではない. ガウスが「双曲線幾何」についての論文を発表したがらなかった原因の一つに「カントのクソリプを恐れた」というものがあるっぽいからである. 一時期哲学者が嫌いになっていた原因がここにある. 

 どうも彼らの一部に専門ではない対象に対して思い込みでクソリプを飛ばす癖がある奴がいるように思われる. 曰く「不完全性定理は知性の不完全性を示した」だの「数学は不完全である」だの......

 「哲学者に数学をやらせるべきではない」ってどこぞの猫が言っていたのもうなづけるよね. うん. 疑問点というか完全に愚癡だね. 

 「総合的ア・プリオリ」なる概念は気になるが, 「蛮勇だった」っぽい記述があることを踏まえるとあまり期待できそうにありませんな. 

読書対象

 

数学を哲学する

数学を哲学する

 

 

 

注意
読書ノートは個人的なまとめおよびモチベーション維持としての側面が大きいので, 誤りや勘違いがある可能性があります. また, 本文に書いていないことを自分の解釈でかみ砕いて書いていることがあります. 読書の参考にとどめてください. 
明らかな誤りがある場合はコメントなどで優しく教えてください. いじめダメ絶対. 

ぎんがしんねん~銀英伝の話~

 親愛なる読者の皆さま, あけましておめでとうございます. 仮面の日曜数学者です(迷ったけどこれにした). 

 

 今年のお正月は様々あって, 姫路で過ごしたのですが, 旅は良いですねぇ. 久しぶりにゆっくりできました. 

 

 最近は初日の出をゲンの良いところで拝もうってんで, 年末年始にいろんなところに旅行する人が増えているそうで, 中には「宇宙で初日の出を見たい」という人もいるらしいです. 曰く「銀河の初日の出は, 縁起がいい. なんといっても銀河新年というくらいだから......」

 

 といううことでねぇ,  今日は数学の話ではなく, 銀河英雄伝説(略称:銀英伝)の話を書こうと思います. なぜ今そのテーマか? この前銀英伝オフ会が都内某所で開かれていたようですが, それに参加できなかった後悔というとてもとても個人的な都合です...... 

 

銀河英雄伝説 文庫 全10巻 完結セット (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 文庫 全10巻 完結セット (創元SF文庫)

 

 

 これですね. 本編全10巻+外伝5巻というそれなりにボリュームのある作品です. 20年程前の作品ですが, 最近ヤングジャンプ藤崎竜先生によるコミカライズされたりとか, 2017年にProduction I. Gによる再アニメ化(以前にもOVAとしてアニメ化済み. 本編全110話+外伝52話)が決まっていたりと, 盛り上がりを見せている作品です. 3年ほど前にSFの面白い作品が読みたいと思って読み始めた作品ですがはまってしまいました. 以前からのファンの皆様にはこう言われます. 

 

なぜ, 今, はまったのか? 

 

 なんでだろうね. ヤングジャンプでの連載が決まったとき, 古参ファンの皆さまと盛り上がっていたものな. 

 

 えー, ストーリーの紹介しておこうか. 

 舞台は遠い未来. 超光速走法(ワープ技術かもしれない)の発達で人類の生存圏は銀河全体に及んでいた. なんやかんや(ここのあらすじだけで30ページくらいあるというすばらしさ)あって, 人類は帝国主義銀河帝国と民主主義の自由惑星同盟に分かれていつ終わるとも知れぬ闘いの日々に明け暮れていた. 

 長い戦いの中で, 双方とも政治の腐敗, 長年の戦争による人材不足などの弊害が訪れていた. 

 そんな中で, その時代を終わらせる2人の英雄が出現した. 1人は銀河帝国の若き上級大将「常勝の天才」「生意気な金髪の孺子(こぞう)」ラインハルト・ローエングラム, もう1人は自由惑星同盟の元歴史学者志望の軍人「不敗の魔術師」「ペテン師」ヤン・ウェンリー. 物語はこの二人の人物を中心に進んでいく. 

 他にも第三勢力として, 銀河帝国と自由銀河同盟の闘いから利益を吸い上げようというフェザーン自治区やその裏側に存在する×××の暗躍などいろいろな事件が起こっていく. 激動の時代を超えて, 人類はどこへ向かっていくのか......  

 

 大体こんな感じです.  

 

 この作品の面白さはストーリーはもちろんですが, セリフのカッコよさや各キャラクターの思想にあります. 特に自分はヤン・ウェンリーが大好きで, 彼が出てこない帝国側の話を読むときは少し(ゲフンゲフン

 

 ヤンは基本働きたくない人で, 「退役年金をもらう」ために軍人をしています. 元々は歴史学者志望の青年だったのですが, 経済的な事情で「タダで歴史を学べる学校」である同盟軍士官学校戦史研究家に入学をするのですが, なんやかんやあって, 最前線で戦うことに......

 基本働きたくないマンの彼ですが, 民主主義を守るために最後まで戦い続けます. 彼は民主主義が最良の政治と考えているのです.

最悪の民主政治は最良の独裁政治に勝る. 

とは彼の弁です. ただ, 行動の上では明らかに「民主主義を守るのため」というのが, 行動原理の一つとしてあるにもかかわらず, 彼の中には「民主主義を守るために戦うことが本当に人類のためになるのか」という葛藤と常に共にあります. この矛盾が彼のカッコよさの由縁です. わかりやすいヒーローより悩めるヒーローの方がカッコ良いよね(個人の好みです). 

 

 再アニメ化が決まっていると先ほど書きましたが, 最大の不安は彼の担当声優です. 最初のアニメ化の際は日本の声優会の至宝, 故富山敬さんが担当されていました. 彼が亡くなった後に制作された外伝では郷田ほづみさんが担当されていました.

 最良のヤン声優はもちろん富山さんですが, 個人的には郷田ヤンも好きなので, 郷田さんの続投を望んでいます. もしくは舞台版でヤンを演じられていた河村隆一さんでも良いですね(河村ヤンには富山敬が降りていたというのはファンの間では定評のある話). 他は.....誰が適当だろうか......

 飄々としていてつかみどころのない彼を表現するのは非常に難しいと思いますが, 担当の声優の方の演技を楽しみに待つことにします. 

 

ということで, まだまだ書きたい話もありますが, 疲れたので今日ここまでで......

 銀英伝ファンが増えるといいな. 

 あぁ, 一週間の休みを取って銀英伝最初から読み直したいんじゃぁ......

$2^{100}$を$7$で割った余りを多項式を計算する方法~tsujimotterさんのおはなしを受けて~

 あー, おなかいたい......

 

 みなさんこんばんは.

 ある日曜数学者です.  

 固有名詞化しつつある「ある日曜数学者」という単語ですが, 今度から「オペラ座の日曜数学怪人」と名乗ろうか「仮面の日曜数学者」と名乗ろうか迷っています. 

 

 先日から胃がきりきりする事態に襲われていて, 仕事をしているとき以外は寝ている生活をしていました. 最近, ストレスフルな生活が続いているせいでしょうか......

(しにそう

 

 さて, 今日のテーマは次の記事にインスパイアされたものです. 

tsujimotter.hatenablog.com

 

 tsujimotterさんは「$3^{100}$を$19$で割った余り」を求める4通りの方法を紹介されていました. 

すなわち

1. 直接計算してぶん殴る方法. 

2. 合同式を用いて, 周期性を見つける方法. 

3. フェルマーの小定理を用いる方法. 

4. 平方剰余の相互法則を用いる方法. 

の4つです. 

 

 さて, この記事を読んでいた私は, この問題を「多項式の割り算によって解けないだろうか? 」と思いつきました.  

 というのは下にあげるような類題を「多項式の割り算」を用いて解いたことがあるからです. 

 

 「$2^{100}$を$7$で割った余りはいくつか?」

 

 当然この問題も上の1~4のやり方でも解くことができますが, 次のように多項式の割り算によって解くこともできます. 

 

解法

 まず, 次の事実に注意する. 

\[x^{33}-1=\left(x-1\right)\left(x^{32}+x^{31}+\cdots +1\right)\]

 すなわち, 

\[x^{33}=\left(x-1\right)\left(x^{32}+x^{31}+\cdots +1\right)+1\]

 すると, $7=2^3-1$であるから, 

\begin{align*}\left(2^3\right)^{33}&=\left(2^3-1\right)Q\left(2^3\right)+1 \\2^{99}&=7\cdot Q\left(2^3\right)+1\end{align*}

ただし, \[Q\left(x\right)=x^{32}+x^{31}+\cdots +1\]である. 

よって, 

\[2^{100}=7\cdot 2Q\left(2^3\right)+2\]

であるから, 商と余りの一意性より$2^{100}$を$7$で割った余りは$2$である. 

 

 で, この解法を元の「$3^{100}$を$19$で割った余り」に応用することができるかなと思ったのですが......

 結論から申し上げると不可能なようです. 上の解法は割る数が$2^n-1$という形になっていたので, 上のようにできたのですが, 今回はそうなっていません. せいぜい$19=3^3-8$とできるくらいです. 

 この変形を使うと, 次のような事実がわかりますが, 正直そんなに簡単にならないです. 

 「$3^{99}$を$19$で割った余りと, $2^{99}$を$19$で割った余りは等しい. 」

証明のようなもの 

 次の事実に注意する.  \[a^n-b^n=\left(a-b\right)\left(a^{n-1}+a^{n-2}b + \cdots + ab^{n-2}+b^n\right)\]

 すると, \[\left(3^3\right)^33-8^{33}=\left(3^3-8\right)Q\left(3^3, 8\right)\]

 ただし, \[Q\left(a, b\right)=a^{n-1}+a^{n-2}b + \cdots + ab^{n-2}+b^n\]である.

  よって, \[3^{99}=19Q\left(3^3, 8\right)+2^{99}\]

これは, $3^{99}$を$19$で割った余りと, $2^{99}$を$19$で割った余りは等しいことを示している.

 

 んー, あまり面白い発見ではありませんな......

 $2^9\equiv3^9\equiv -1\pmod{19}$に気が付けば, すぐにわかる事実ですしね. 

 

 そんなわけで, tsujimotterさんの問題に別解を与えることはできませんでしたが, 「ある種の余りを求める問題にはこんな解き方もあるのかぁ」という話でした. 

(泣きたくなってきた

#0は自然数

 えー, どうもこんばんは. ある日曜数学者です. 

 

 勢いで次のような企画に参加してしまいました. 

www.adventar.org

 

 主催の人とは全く知らない間柄でもないし, 簡単な文章で良いって書いてあるしなぁってんで, 勢いで参加ボタンを押しちまいました. いやぁ, 用事が長引いてこんな時間になっちった. 

(謎のテンション

 

 そんなわけで, この記事はそのイベント用の記事です. 他のイベント参加者の記事の内容と比べると急に軽い話題となりますが, 当日参加なので, 勘弁してください. 

 

 日曜数学者同士の茶飲み話のよくある話題として「0は自然数であるか否か」というものがあります. 

 高校数学の定義だと, 「自然数に0は含まない」となっていますが, 多くの数学書では「自然数に0を含む」となっています. これはどういうことでしょうか? 

 

  自然数に0は含まない」派の人々の主張は大まかには「歴史的に『自然数』はモノを数えるために作られた*1のだから, 『何もない』という0は自然数に含むべきではない」というものです. 

 

自然数に0は含む」派の人々は「そちらのほうが数学的に便利で, 自然だから(0がないと不便で気持ち悪い)」という主張をされている方が多いと思います. 

これは, 「空集合を使って0から自然数を構成する 」ことで, 「集合論の上で自然数論を展開できる」といったことや, 「0があると, 自然数はモノイドになる」ということなどがあるのでしょう. 私はこちらの派閥です. 

 

みなさんはどちら派でしょうか? 「こっちの派閥だけど, 違う理由だ」とか「ぶっちゃけどっちでも良い派」とかいろいろあるでしょうが, 茶飲み話の話題にでもなれば幸いです. 

 

 以上突貫工事の記事でした. 

 (ホントはこれらの派閥の比較検討をしたかったけれど, タイムオーバーなのでまたの機会に......

*1:実は 「歴史的に『自然数』はモノを数えるために作られた」という主張は半分正解で, 半分誤りです. 

 どうも近代以降ではそういった発想から「自然数」というものを使っていたようですが, 実は古代ギリシャでは「1」は「自然数」として扱われていなかったりします. 「1」はunit(単位)で「数」ではないということのようですね. 

 また, 「0」を考えることは「無限」を考えることにつながるので, そういった点でも「自然数」として扱うことは忌避されていたようです. 

 まぁ, でも「自然数』はモノを数えるためのもの」ということから, 0をはじくのはわかる気もします.