Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

思考の流し台. 駄文注意.

分離論理入門のようなもの(未完成)

この記事は

https://adventar.org/calendars/4015

の12/21 の記事です。

 

わたしは分離論理について今回書きました。12/21現在書きかけです。年内には書き上げます。

日本語で読める分離論理についてのある程度まとまった文書をわたしは知らないので、需要があるのではないかと思って書きました。

今回は「一階述語論理は知っているけど、分離論理ってなんや」と思っている方を想定読者として書いています。お楽しみいただくか、参考になれば幸いです。

 

www.dropbox.com

 

数学する身体を読んで

数学する身体を読んだ。

内容は次のように表現できる。

 

マンガ おはなし数学史 : これなら読める!これならわかる! (ブルーバックス)
 

 

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

 

 

ゼロから無限へ―数論の世界を訪ねて (ブルーバックス)

ゼロから無限へ―数論の世界を訪ねて (ブルーバックス)

 

虚無

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

 

これらを百倍に薄めたもの。

おしまい。

 

それよりも次の本を読んだ方が勉強になるしおもしろい。または薄める前のものを読むと良い。

カッツ 数学の歴史

カッツ 数学の歴史

 

 

数学の歴史 (放送大学教材)

数学の歴史 (放送大学教材)

 

 

数学を哲学する

数学を哲学する

 

 

Zorn の補題は何の補題? ―「補題」と呼ばれる定理たち―

数学の世界には慣例的に「補題」と呼ばれる"定理"がある. 

たとえば, 

などである(分野に偏りがあるのはご容赦).

 

 なぜこれらは補題と呼ばれるのか? 

 大学生の頃にMartin Aigner, Günter M. Ziegler, "Proofs from THE BOOK", Springer のChapter 25の冒頭に答えが書いてあるのを見つけた. 有名な事実かと思いきやそうではないらしいので, せっかくなのでこのブログで共有をしたい. 

 以下がそのChapter 25の冒頭の文章である. 

 The essence of mathematics is proving theorems - and so, that is what mathematicians do: They prove theorems. But to tell the truth, what they really want to prove, once in their lifetime, is a Lemma, like the one by Fatou in analysis, the Lemma of Gauss in number theory, or the Burnside-Frobenius Lemma in combinatorics.
 Now what makes a mathematical statement a true Lemma? First, it should be applicable to a wide variety of instances, even seemingly unrelated problems. Secondly, the statement should, once you have seen it, be completely obvious. The reaction of the reader might well be one of faint envy: Why haven't I noticed this before? And thirdly, on an esthetic level, the Lemma - including its proof - should be beautiful! 

(Martin Aigner, Günter M. Ziegler, "Proofs from THE BOOK" , Third edition, Springer, 2004, p.167)

 

 訳すと次のようになるだろうか?

 

 数学の本質は定理を証明することである.  ― すなわち, それが数学者のやっていることである. 彼らは定理を証明している. しかし, 本当のことを言えば, 生涯に一度でもいいから彼らが本当に証明したいものは補題なのである. たとえば,  解析学におけるFatou の補題や数論におけるGauss の補題, 組み合わせ数学におけるBurnside-Frobenius の補題のような.
 さて,  何をもって数学的主張は真の補題と言われるのか? まず, その主張は一見して無関係と思えるような問題にさえも応用可能なほど広範囲の応用例を持つべきである*1.  次に, その主張は一見して完璧に明らかであるべきである.  その主張を読んだものはかすかな羨望を覚えるかもしれない. 「なぜ, こんな簡単なことに私は気が付かなかったんだろう?」と*2. 最後に, 美的感覚*3において, その「補題」が―証明も含めて―美しくあるべきである!

(翻訳は筆者自身)

 

補題」と呼ばれる"定理"にはこのような事情があったのである. 

 たしかに冒頭に挙げたような「補題」たちはいろんな定理の"補題"になっている(言い換えると, 応用範囲が広い)し, (一度わかれば)主張は明らかである. 最後の「美しさ」の部分については意見が分かれるような気もするが, 見る人が見れば「美しい」のであろう(たぶん). 

 今後の読者の学習の参考になれば幸いである. 

参考文献

Proofs from THE BOOK

Proofs from THE BOOK

 

 

この本は日本語訳も出ている.  

天書の証明

天書の証明

 

 

*1:訳注:かなり意訳してしまったので, ニュアンスが違うかもしれない.

*2:訳注: 原文では直接話法ではなかったのだが日本語にすると大変おさまりが悪かったのでこうした.

*3:訳注:ここもニュアンスをうまく訳せていない可能性がある. esthetic は「審美的」と訳されることが多いようであるが, あまり一般的な用語ではないように思われ, 意味が伝わらないのではないかと考えた.

自然数の定義(2019/06/03更新)

自然数の定義を淡々と述べるものです. 過度な期待はしないでください.

1. 構造としての自然数の定義

1.1. ペアノの公理(オリジナルに近いもの)

  空でない集合 \( \mathbb{N} \) と単射写像 \( \mathop{s}: \mathbb{N} \to \mathbb{N}\) , ある \( 0 \in \mathbb{N} \) が次のI), II)を満たすとき \( \left(\mathbb{N}, \mathop{s}, 0 \right) \) を自然数と言う:

I) \( \mathop{s}\left( x \right) = 0 \) となるような \( x \in \mathbb{N} \) は存在しない;

II) \( \mathbb{N} \) の元 \(n\) についての(正しいとは限らない)性質 \( P\left( n \right) \) が次のi), ii)の性質を満たすとき, すべての \( \mathbb{N} \) の元 \(n\) について \( P\left( n \right) \) は成り立つ:

i) \( P \left( 0 \right)\) が成立する; 

ii) \( P \left( n \right) \) が成立すると仮定したとき, \( P \left( \mathop{s}\left( n \right) \right) \) が成立することが示せる. 

1.2.ペアノの公理(集合的にかつ構造らしく)

  空でない集合 \( \mathbb{N} \) と単射写像 \( \mathop{s}: \mathbb{N} \to \mathbb{N}\) ,  \( 0 \in \mathbb{N} \) が次のI), II)を満たすとき \( \left(\mathbb{N}, \mathop{s}, 0 \right) \) を自然数と言う:

I) \(  0 \not \in \mathop{s} \left(\mathbb{N}\right) \);

II)  \( X \subset \mathbb{N} \)について, \( 0 \in X \)かつ\( \mathop{s} \left(X\right) \subset X \)ならば, \( X = \mathbb{N}\).

1.3.ペアノの公理(2階述語言語を用いて)

 \( \mathcal{L}_2 =\left( 0, s, = \right) \)という2階述語言語に対して以下のような論理式の集合\( T \)を考える.  \[ \forall x \forall y \left( sx = sy \to x = y \right) \] \[ \forall x  \lnot \left( sx = 0 \right) \] \[ \forall X   \left( 0 \in X \land \forall n \left(  n \in X \to sn  \in X \right)  \to \forall n \left( n \in X \right) \right) \]

\( T \)のモデルを自然数という. 

 

2. 1の自然数の定義を満たす具体的な自然数

 当たり前ですが, ここから下で定義されるものは1の定義を満たしています. 

1.1.  文字列

 \( 0, s \)を文字とする. 

I) 文字列"\(0\)"は自然数である. 

II) 文字列"\(\mathbf{n}\)"が自然数であるとき, 文字列"\(s\mathbf{n}\)"は自然数である. 

III) I), II)のようにして構成される文字列のみが自然数である. 

1.2. 空集合からの構成 

I) 空集合\(\emptyset\)は自然数である. 

II) 集合\(n\)が自然数であるとき, 集合\(n \cup \left\{ n \right\}\)は自然数である.

III) I), II) のように構成される集合のみが自然数である. 

1.3. 順序数として

 最小の極限順序数を自然数という.  

 

参考文献

[1]H.D.エビングハウス他, 『数』, 丸善出版

数 上 (シュプリンガー数学リーディングス)

数 上 (シュプリンガー数学リーディングス)

 

 [2] 田中一之他, 『ゲーデルと20世紀の論理学3』, 東京大学出版会

ゲーデルと20世紀の論理学 3 不完全性定理と算術の体系

ゲーデルと20世紀の論理学 3 不完全性定理と算術の体系

 

 

自然数全体から「同様に確からしく」自然数をランダムに選ぶことができないという話

1. 導入

 最近Twitter で「自然数全体から『同様に確からしく』自然数をランダムに選ぶことができる」と思っている方を見かける. 残念ながらそのような確率空間は存在しないという話を書く*1

2.本論

 まず, 数学的に確率空間を定義しよう. そのためにまず完全加法族を定義する. 

定義( 完全加法族 )

 \( \Omega \)を集合とする. 

 \( \Omega \)の部分集合の族\( \mathcal{F} \)が次のi), ii), iii)の条件を満たすとき\( \mathcal{F} \)を\( \Omega \)上の完全加法族という. 

i) \( \emptyset, \Omega \in \mathcal{F}. \)

ii) \(\mathcal{F}\)の元の族 \( \left\{ E_i \right\}_{i \in \mathbb{N}}  \)を任意に取る. このとき, \[ \bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \in \mathcal{F}.\]

iii) \( E \in \mathcal{F} \)ならば\( \Omega \setminus E \in \mathcal{F}. \)

 要は補集合を取る作業と可算個の集合和に対して閉じている集合の族である. 

 当然だが, 一般的に\( \Omega \)上の完全加法族は複数存在する*2

 

 確率空間を定義する. 

定義(確率空間)

 \( \Omega \)を集合, \(\mathcal{F}\)を\( \Omega \)上の完全加法族とする. 

関数\( P:\mathcal{F} \to \left[0, 1\right] \)が次のI), II)を満たすとき, \(P\)を確率測度と言う. また, \( \left( \Omega, \mathcal{F}, P\right) \) の三つ組みを確率空間という. 

 

I) \( P\left(\emptyset\right) = 0, P\left(\Omega\right) = 1 \)

II) \( \left\{ E_i \right\}_{i \in \mathbb{N}}  \)を\( \mathcal{F} \)の元の族で互いに素な族とする(すなわち, \( i\neq j \)ならば\( E_i \cap E_j = \emptyset \)). このとき, 

\[ P \left(\bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \right) = \sum_{i = 0}^{\infty} P \left( E_i \right). \]

 高校数学風に説明すると, \(\Omega\)は「根元事象の集合」, \(\mathcal{F}\)は「事象の集合」, \(P\)は「事象の起こる確率を与える関数」となる. 

 確率空間の具体例などは参考文献として挙げるものを参照してほしい. 

 

 さて, ここから本題である. 

自然数全体から『同様に確からしく』自然数をランダムに選ぶ」という確率空間\( \left(\Omega, \mathcal{F}, P \right) \)は次を満たすものであるはずである. 

NOTE

a) \( \Omega = \mathbb{N} \). 

b) 任意の\(n \in \mathbb{N} \) について, \( \left\{ n \right\}\in\mathcal{F}\). 

c) 任意の\(n, m \in \mathbb{N} \) について, \( P\left(\left\{ n \right\}\right) = P\left(\left\{ m \right\}\right) \). 

a) は根元事象は「自然数を選ぶこと」なので当然である. 

b) は「ある自然数\(n\)を選ぶこと」に対して確率を与えなくてはならないので, 必要である. 

c)は「同様に確からしい」 という条件に対応する. 

 

さて, b)の条件から\( \mathcal{F} = 2^{\mathbb{N}} \)であることがわかる(ただし, \(2^{\mathbb{N}} \)は\(\mathbb{N}\)の部分集合全体の集合). なぜなら, 任意の\( S \subset \mathbb{N} \)に対して, \[ E_i = \begin{cases} \left\{ i \right\} & i \in S,  \\ \emptyset  &  \text{Otherwise,} \end{cases} \]と定義すれば, 当然すべての\(E_i\)は\( \mathcal{F}\)の元であるので,  \[ \bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \in \mathcal{F}\]

が成り立ち, 一方で定義から\[ S = \bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \]

も成り立つからである.

 

 さて, 問題はc)の条件である. 確率空間のI)の条件とII)の条件から\(P\)は次のようなことを成り立たせねばならない. 

NOTE

\[E_i = \left\{ i \right\} \,\, \left( i \in \mathbb{N} \right)\]

という\(\mathcal{F}\)の元の族を考える. II)の条件から

\[ P \left(\bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \right) = \sum_{i = 0}^{\infty} P \left( E_i \right). \]

ここで

\[ \mathbb{N} = \bigcup_{i = 0}^{\infty} E_i \]

であるから, I)と合わせて, 

\[  \sum_{i = 0}^{\infty} P \left( E_i \right) = 1  \qquad \text{(A)} \]

でなければならない. 

 さて,  (A)が問題である. 簡単のため以下\( a_i = P \left( E_i \right)\)と書くことにする. 

 (A)が成立する必要条件として, \[ \lim_{i \to \infty} a_i = 0 \qquad \text{(B)}\] がある(収束する無限級数の性質).

 c)の性質を仮定すると, 各\(i, j \in \mathbb{N} \)に対して\(a_i = a_j\)である(つまり, \( \left\{ a_i \right\}_{i \in \mathbb{N}} \)は定数列である)から, (B)と合わせると, 全ての\(i \in \mathbb{N}\)に対して\[a_i = 0\]となる. しかし, これは(A)に矛盾する. 

 つまり, c)の条件を満たす確率空間は存在しないのである. 

3. 結論

自然数全体から『同様に確からしく』自然数をランダムに選ぶことができない」ことを示した.  

 

参考文献

[1] 伊藤清, 『確率論の基礎』, 岩波書店 

確率論の基礎 新版

確率論の基礎 新版

 

確率空間の定義の確認などに用いた.  コンパクトにまとまっているので復習にちょうど良いとされる(ホンマか?).

 

[2] 舟木直久, 『確率論』, 朝倉書店

確率論 講座数学の考え方 (20)

確率論 講座数学の考え方 (20)

 

 確率論の定評のある教科書である. 

*1:だいぶ昔に別の人がこの辺の話をもっとがっつりブログの記事かなにかに書いていた気がする. 探したのだが, 見つけられなかった. 知っている人がいれば教えてほしい.

*2:例として\( \left\{ \emptyset, \Omega\right\}\)と\(2^{\Omega}\)はそれぞれ完全加法族の定義を満たす.

つまようじを投げて円周率を求めてみた

この記事は

Math Advent Calendar 2018 - Adventar

の12/19付の分の記事です(え?10日も遅れてる?......スタンド攻撃を受けているようだな). 

 

ビュフォンの針という問題をご存じだろうか?

ビュフォンの針

 平面上に平行線が等間隔に多数書かれている. その間隔を \( l \) とする. 

 その平面上に長さ \( r \) の細い針を落とす.

 その針が平行線と交わる確率を求めよ(ただし, \( r \leq l \) としてよい). 

 この問題*1の答えは

ビュフォンの針の答え

\[ \frac{2r}{l\pi} \]

 である(詳細は省略. 時間があれば証明をそのうちアップするかもしれない. ). 

 

 さて, この答えをよく見ると円周率\( \pi \)が含まれている. そのため, 次のようなことが思いつく. 

 針を\(n\)回投げた時に交わった針の本数を\(m\)本とすれば, 大数の法則より

\[ \frac{2nr}{ml} \to \pi  \qquad \text{as} \qquad n \to \infty \]

が成り立つ.  
これを利用して円周率の近似値を求めることはできないか?

 

 そんなわけで実際にやってみた. 

 

 次のような条件の下で協力者Tと共に実験を行った. 

  • 針を投げるのは危ないので, 投げるのは形状の似ている「つまようじ」にする. 
  • 「平行線」は縞模様で表現することにした(線の太さを\(0\)に近づけて交わっているか交わっていないかの判断を簡単にするため). 
  • つまようじの長さと縞模様の間隔は同じにする(\(r=l\)を仮定する). 
  • 一気に複数本を箱に入れて投げる(手間を減らすため). 

f:id:Sokrates7Chaos:20181231170555j:plain

つまようじを入れるための箱(手作りなのでしょぼいのはご愛敬)

f:id:Sokrates7Chaos:20181231170802j:plain

投げては数え上げるを繰り返す

 

 のべ400本投げた実験結果は次のようになった.  

f:id:Sokrates7Chaos:20181231171516j:plain

実験結果

絶対誤差は-0.029.

相対誤差は0.009.

 

 時間の関係で今回はのべ400本しか投げることができなかったが, のべ400本の時点でかなり良い近似を得ることができたので, 回数を増やしていけばもっと良い近似値を得ることができるはずである. 機会があればまた挑戦をしたい. 

 

参考文献および実験器具たち

天書の証明

天書の証明

  • 作者: マーティン・アイグナー
  • 出版社: 丸善出版
  • 発売日: 2012/9/1
  • メディア: 単行本
 

 

妻楊枝 大 約500本 21003

妻楊枝 大 約500本 21003

 

 

 

 

*1:最後の\( r \leq l \)という条件は簡単のためつけてある. \( l < r \)のとき, 針の長さが平行線の間隔より大きくなるため, 交わる確率が大きくなるからであるからである.

【備忘録】人生で一度は証明を追いたい命題一覧

 だいぶ前にTwitterで「人生で一度は証明を追いたい定理」とかいう話題が盛り上がっていた. もとツイートを探そうかお思ったんだが, 見つからなかった(←探し方が悪い)ので誰が言い始めたのかはわからないのだが, 「なるほど, 確かにそういう定理・命題・補題はいくつかあるな」と思ったのを覚えている. 

 ふと, そういうものをまとめてみようかという気分になったので, ここに一覧を晒すことにした. これは自分のモチベーション維持*1と「この命題の証明もかっこいいで」という情報が入ってくることを期待してのものである. 難易度がバラバラだったり分野に偏りがあるがご容赦願おう. どうせこの後どんどん増えていくし. 

整数論

・Fermatの最終定理 

  どうあがいても追いたい証明一位だった. ここが原点の数学徒は多いのでは. 

・Gelfond-Schneider の定理

  超越数論の一里塚のはず. 超越数論でとてもでかい結果と聞いているので興味はある. 

Logic

・Gödelの不完全性定理(特に第二の方)

  概略を追ったことはあるはず(ホントに追えてたかも怪しい)だが, やっぱりよくわかっていないのでもう一度追いたい. 主張はよく使うのにね. 

・Presburger arithmetic が否定完全であること

 これも結果はよく使うのに証明をよく知らない. Quantifier freeの形に変形するらしいのだがよくわかっとらん. 

Lindstrom Theorem

 最近知った定理で一階述語論理は「コンパクト性定理」と「Löwenheim–Skolem theorem」で特徴づけられるというものらしい. すさまじくきれいな定理である. 

・Getzen の算術の無矛盾性証明

Set Theory

・ZFCと連続体仮説(CH)の独立性. 

  Forcing わかりません案件.

(9/20追記) ZFが無矛盾であれば、ZFC+CH が無矛盾であることの方は某夏の学校である程度理解できた(と思う)。やはりForcing が全くわからない。(追記終わり)

・ZFのモデルで$mathbb{R}$の任意の部分集合が Lebesgue 可測であるものが存在する. 

・Diaconescu's theorem

Category Theory

・米田の補題

 追ったんだよ, 一回. でも理解できてない感がすごいし, 定理の主張の内容も明らかによくわかってない. 圏論力を高めて再チャレンジしたい. 

*1:「えー, まだこの証明追っていないのぉ」という数学徒からの煽りとも言う. あまり言われると心折れるのでほどほどにネ.

数学と比喩~CR性は崇徳院である~

 数学をやっているとすごいレベルの比喩でもって数学的な概念を説明してくれる人に出会う. 最近自分の中でヒットしたのは「CR性は崇徳院」というものだ. 

 

 CR性というのは"Church Rosser 性" というものである種の順序集合の性質のことである. 正確には次のような性質である. 

定義 CR性

 $S$を集合, $>$を$S$上の二項関係とする. 

 $S$上の列で$s_0 > s_1 > \cdots > s_n $(ただし, $n \in \mathbb{N}$)というものがあったとき, $s_0 >\!\!\!> s_n$と書くことにする. 

 任意の$s, s_1, s_2 \in S$に対して$s >\!\!\!> s_i  \, \,  (i=1, 2)$ ならば, ある $s' \in S$ で $s_i >\!\!\!> s'$ を満たすものが存在するとする. 

 このとき, $\left(S, > \right)$はChurch Rosser 性(略してCR性)を持つと言う. 

 要は列が必ずどこかで合流するという性質である.  

 

 崇徳院というのは第75代天皇歌人として有名な方である(日本史弱者並みの紹介. 詳しくは 崇徳天皇 - Wikipedia を見てくれ). この方の和歌に次のようなものがある.

瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の

   われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ

小倉百人一首の77番目の詩として有名なこの歌だが, 意味としては次のようになる(と思う). 

水の流れが早くて, 岩によって流れが二つに分かれてしまう川であっても, (下流のほうで)最終的には合流する.  (そのように一度別れたとしても)あなたともう一度会いたいものだなぁ.  

 「CR性は崇徳院」というのはこの川の流れの合流性がCR性というものを表しているではないかということである. なんともロマンチックなたとえである. こういうのがサラッと言える大人はかっこいい. とある勉強会で聞いたたとえだが, こういうことを一度でいいから素で言ってみたいものである. 

 

参考文献

[1]高橋正子, 計算論, 近代科学社

計算論 計算可能性とラムダ計算 (コンピュータサイエンス大学講座)

計算論 計算可能性とラムダ計算 (コンピュータサイエンス大学講座)

 

 CR性の定義の参照に使っただけだけど一応......

 型なしλ計算の定番の教科書である. 

 [2] 

【百人一首講座】瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ─崇徳院 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

崇徳院のほうはgoogle先生で「崇徳院 百人一首」検索したら, 一番頭に出てきたこちらを参照した. 訳は著作権的なチョメチョメが怖かったので自分で考えた(ので, 厳密には間違ってるかも). 

文章を書くときに好きな文字数

 なんか, 眠れないので久々にブログを書いてみることにする. 半年ぶりらしいけど, そんなこと気にせず書く. 

 

 文章にはひとそれぞれ向いている長さがある気がする. 基本的にTwitterに張り付いていることが多いのだが, この時のつぶやきは50文字くらいが心地よい. ほぼ脊髄反射*1で打てる量だからだ. 

 これ以上長い発言をしようとすると, 140文字では足らない. 連ツイの傾向を思い出す限り, 500文字くらいは欲しい気がする(もしかするともう少し短いかも). 

 さらに長い発言をしようとすると, 結果的に2500文字くらいは行く気がする.

 

 50, 500, 2500という中途半端な刻みだが, 大体僕の書く文章は大体この数字の周辺の周りに固まっている気がする(統計を取ったわけではない).

 

 逆にこれらの周辺の数字でない, 1500文字くらいで書けと言われるととても苦労する. 院試の時に書いた書類が確かそのくらいの長さで求められていて, 内容自体は1時間くらいでできたものの1500文字付近に文字数を持っていくために2, 3時間かかった気がする. 

 

 これはどのくらいあるあるな感覚なのだろうか? そういえば, 大学入試の時もこんな文字数調整で苦労をしていた気がする(特に英文要約).  

 

 なんかこの話のオチを思いついて書き始めたはずなんだが, オチを忘れてしまったのともう一度考えてもっていくのが面倒になったので中途半端だがここで終わりにする. あるあるネタだといいなぁ. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、 ほんとにオチないよ. 

*1:本当に脊髄反射で打っているわけではない(何かに対する防衛). 打った後, 言っても大丈夫かどうか誤字脱字がないか, 確認してから送信ボタンを押すようにしてはいる. 

人工知能全能説―—シリーズ認知の歪み1―—

 最近, 「人の認知」に対する興味が日に日に増してきている. 我々は常に「認知の歪み」を受けて生きているためになかなか「ありのままの現実」ないし「ナマの真実」とでもいうべきものを知覚できない. 

 「認知の歪み」は思い込み, 勘違い, 錯覚etc. さまざまな原因で起こる. それはどんな賢者であれ聖者であれ, 「人*1」である限り逃れることのできない「人間の業」もしくは「人間の本質」とでも言うべきものであるように思う(これ自体も認知の歪みである可能性はある).  

 そのような認知の歪みに対してたまにテキトーな思考を垂れ流す場が欲しくなった. せっかくブログの存在を認知したのでここで垂れ流すことにする. 

 今回のテーマは「人工知能全能説」である. キチンと取材した話ではないのでこの記事自体が「認知の歪み」を強く受けていることに注意されたい. 

 

 

 近頃人工知能に対する世間一般の興味が高まっているようである. 某放送局が「自前の人工知能を作りました」というので蓋を開けてみたら疑似相関を大量に検出するための箱ものにすぎず, 「人工知能」というには程遠い何かであったという心温まる出来事があったのは記憶に新しい. 

 また, 人工知能の開発をやっていた——少なくとも上記の放送局よりは真剣に―—会社の社長が良くわからない理由で逮捕されたという悲しすぎる事件があったことは読者諸氏もご存知のことであろうと思う. 

 

 人工知能に関することでよく聞かれる認知の歪みは「人工知能全能説」だ. 誰が言い出したのか知らないが曰く「人工知能は全ての問題を解決してくれる」らしい. また, いつの日か「人工知能は人類の知能」を超え「人類の仕事を奪い生存を脅かす」ようになるらしい. そもそも人類自身の「知能」がどうなっているのかわからない——だいぶわかってきたことも増えてきたらしいが——のにすごい発想である.  まぁ, 後者については元々「ロボット」という言葉が初めて用いられたKarel Čapekの戯曲"Rossumovi univerzální roboti"以来の伝統*2のような気もするが......

 

 現在の人工知能と実際の人類の知能の隔たりは大きい. 

 第一に人工知能は「問題・課題の発見」は本質的にはできない. あくまでも彼らは人類が設定した「課題設定」に乗っ取って業務をこなしているだけである. 人類が課題設定をした範囲内においてであれば「問題」の発見自体は可能かもしれないが——故障個所の発見など——一番最大の目的の設定はあくまでも人類が行わなくてはならない. これは課題設定を行うために必要な「価値」という概念自体が, 人工知能が扱うには曖昧過ぎることが原因のように思う*3

 第二に人工知能は「アブダクション」ができない. 我々人類は課題解決や問題の設定において「仮説形成」ということを行う. 「きっとこれは○○が原因で起きているのだろう」であるとか,  「これはこういう原理で動いているのであろう」などの「仮説」を考え, それを帰納法なり演繹法なりを使って検証することによって人類の思考は進む. しかし, 人工知能は「仮説の検証」ということは行えるかもしれないが, そもそも「仮説」を考案すること自体はできていない. 某放送局の作った人工知能も「相関」の発見・提示までは行えていたようだが, そこからの仮説提示自体は人間が行っていた.

 少なくとも現行の人工知能の理論では「仮説形成」を行うには無理があるように思う. 

 

 ともあれ, 人工知能は我々人類に対して有用であることは間違いなさそうである. しかしあくまでも人工知能は道具である. 道具を使いこなすためには道具の特性を正確に把握する必要がある. どこまでのことが人工知能には「できて」「できない」のか. そこの見極めをすることが今後重要な課題となっていくであろう. 

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

  

ロボット (岩波文庫)

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フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

 

 

*1:そういった認知の歪みから解放された者が「仏」と呼ばれるのかもしれない. しかし, 思うに「仏」になるための必要条件くらいのものなのであろう. 「仏」はさらに「認知の歪み」から解放されたうえで「問題解決」という視野も必要ではないかと思う. 

*2:この伝統も一種の認知の歪みなのかもしれぬ. もっと根源的には「造物主への反乱」という"Frankenstein: or The Modern Prometheus"などでも用いられたものなのであろう. 我々人類自身が「神の創造物」であるとする欧米社会キリスト教社会ではその欲求自体が自然なのだろう.

*3:結局のところ「人の幸福」という共通する基盤はあるのであるが, そもそも幸福と言うもの自体が曖昧模糊なところがある. すべての科学であれ宗教であれそこに指向を持っているはずだが, その定義はなかなかに難しい. 卑近な例として, おそらくこの記事を読んでいる人間の多くは「真理の発見」にこそ幸福を覚えるが, 残念なことにそれに価値を見出すことのできる人間と言うのは限られている. 「真理」に価値を置くのが間違っているという哲学者も出ている始末なので「幸福」というモノを論じるには人類はまだ未熟なのかもしれない.